5月に入って初夏の香りが漂い始めると、父の住む病院までの道はマーガレットで埋め尽くされます。
田植えが終わったばかりの水田の周囲や、そのあぜ道、そして民家の垣根のまわりなど、青々とした草と花びらの白さが対照的になって、浮き上がるような光景になります。
これもまた幻想的で、好きな光景のひとつです。
マーガレットは私の子どもの頃から、この地域でも咲いていました。
小学生の頃は、教室に飾るためにと、母が庭から何本か切って持たせてくれた記憶があります。
夏に向けてわくわくと活動的になる、そんな子どもの頃の気持ちを思い出す花でもあります。
ただ、子どもの頃はもう少し、庭や垣根の近くに限定した花でした。
水田の周りにこんなに咲いていたイメージはないのです。
いつの間にか、雑草のようになって広がったのでしょうか。
でもWikipediaの説明に「主に温室やビニールハウスで栽培される」と書かれているように、もともとは温暖な気候の地域の花のようです。
「ヤサシイエンゲイ」の「マーガレットの育て方」を見ると、「寒冷地での露地植えはまず無理でしょう」と書かれています。
露地植えは株元を敷きわらや腐葉土などを厚くかぶせて防寒対策を行います。寒冷地では、本格的な寒さがくる前にまわりの土ごとごそっと株を堀りあげて鉢に移し替えて凍結や霜の避けられる場所で育てます。
何十メートルも続くあぜ道がこのマーガレットで埋め尽くされるのですから、絶対にこんな手の込んだ手入れはされていないですよね。
夏も冷涼な寒冷地では夏の花付きが抜群によいです。また、元々性質は強いので場所(環境)が合えばあまり手間もかからずよく育ちます。
きっと、この説明の通りなのかもしれません。
それにしても祖父がダリアを好きだったように、農業をされている方々は花が好きな方が多いのでしょうか。
この地域の田畑の周囲も、いつも色とりどりの花が咲いています。
Wikipediaには「カナリア諸島が原産地で、17世紀末に欧州に渡る、日本には明治時代末期に伝わり、大正時代から幅広く栽培されるようになった」と書かれていますが、この地域で最初に植えたのは誰で、いつごろどうやって広がって、5月のこの幻想的な風景をつくり出したのでしょう。
マーガレットで検索していたら、立教女学院の英語名がSt.Margaret's College&Schoolsで、「11世紀にスコットランドの王妃となった聖マーガレットに由来します。王妃は、病人、寡婦など弱者の援助に健診して人々に慕われ、女性の鏡とされました」と書かれていました。
また、ウエストミンスター宮殿の教会教区が聖マーガレット教会で、アンティオキアのマルガリタに献堂されているとあります。
「マルガリタ」とか「マーガレット」という女性像が、17世紀にカナリア諸島からわたって来た花と出会ったときに、「この花こそ、マーガレットと呼ぶのにふさわしい」と人々の心を惹きつけたのでしょうか。
ひとつの花にも、気が遠くなるような歴史があるのですね。