気持ちの問題 25 <茶番劇>

昨日、駅売店で売られていた夕刊の見出しに「茶番劇」とあって、このところ連日の報道に嫌気がさしていた気分にはその言葉がぴったりだと思いました。


ところが帰宅してみたNHKのニュースでは、街頭インタビューは「都知事は辞めるべき」という発言だけが流されていました。
一都民としては、「許せない思いの都民って誰?」の気分で見ていた当初から、だんだんと「勝手に怒っている都民の一人にしないで」という反対の怒りがでそうなほどですね。


あの暴君のような存在の13年も、粛々と都政は行われてきて私たちの生活もそこそこ守られて来たのですから、行政への信頼感はあります。
反対に言えば、誰が首長になろうとゆるがない強さのようなものはあるだろうと。


でも、暴君のような顔はやはり嫌なのですよ。
言葉で人を貶めたり、威圧したり、あるいは差別発言を好むような暴君は。


誰もあの暴君の首に鈴をつけられなかった様子は、けっこう自分自身の身近な経験を思い浮かべている人も多かったのではないでしょうか?


私も、以前の職場で出会った上司と重ねて見ていました。
気に入らないスタッフへの態度はあからさまで、精神的に病んで退職するまで追い詰めることも気にならないようでした。
小さな病院の管理職のポストを求めて。


看護をどうしたいとか、その病院をどんな風にしたいとかではなく、そのポストに付きたいということが目的のようでした。


誰も怖くて真っ向から反論できない。
そんな雰囲気だった職場を、あの暴君の名前を聞くたびにギューッと胸が締めつけられながら思いだしてしまうのです。
ああいう人の下で働くのは大変だろうな。
本当によい方法も取り入れられる可能性が少ないだろうな、と。


その次に短期間で辞めさせられた都知事や、現都知事になってほっとしました。
少なくとも、そういう威圧的な存在ではなかったので。


どうせ、都知事選はマスコミの茶番劇の繰り返しじゃあないですか。
ここ数ヶ月ぐらい、橋下氏の名前がテレビ欄に登場しているのも無関係ではないのでしょう。
虎視眈々と次期都知事の座を狙っている人たち。
だいたいいつも大事な局面になると、疑惑が発覚する絶妙のタイミング。


もう茶番劇には飽き飽きしているのが、一都民の思いです。





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