水の神様を訪ねる 24 野火止用水と氷川神社

念願の「都民農園セコニック」行きのバスに乗り、野火止用水の近くにある2つの氷川神社を歩く計画ができました。

 

お昼時だったので、散歩の途中で食べるおにぎりを購入してバスに乗り込みました。ほぼ満員で出発。JR中央線西武新宿線西武池袋線の間をつなぐバス路線なので、利用者も結構いるようです。

みなさん、「都民農園セコニック」という行き先をどのように受け止めているのだろうと聞いてみたくなるのを抑えながら、沿線の風景を見ていました。

 

大泉風致地区というバス停で、たくさん下車しました。この辺りから東西南北に道路がまっすぐ整備された朱雀大路のようです。キャベツ畑があり、次が「都民農園」というバス停でしたが、やはり住宅街でした。

大きなショッピングモールがあり、そこが「都民セコニック」のバス停でした。最初は降りて歩く計画でしたが、そのまま終点の新座栄まで行くことにしました。

 

*妙音沢*

 

黒目川に架かる大きな橋の手前でバスは左折し、河岸段丘のヘリにある終点のバス営業所で降りたのは私ひとりでした。

 

そこからグンと下り坂を降りて橋を渡ろうとしたら、黒目川沿いに遊歩道があるのを見つけました。黒目川右岸側に鬱蒼とした森があり、その崖から湧水が流れています。

妙音沢特別緑地保全地区という表示がありました。

下車したバス営業所の少し先の崖から、湧き水が出て、黒目川へと流れているようです。

木の椅子もあり、ここでおにぎりを食べることにしました。

黒目川の川の音と、この湧水の音を独り占めです。

 

もうこのまま、ここに数時間ぐらいいるだけで今日はいいかと思いましたが、やはりせっかくなので野火止用水を歩ききりたいものです。名残惜しいまま、この湧き水を後にしました。

 

しばらく歩いて黒目川の左岸側へと渡り、上り坂を歩くと、関越自動車道のそばにひとつめの馬場氷川神社があります。自動車道はこの氷川神社がある山をきり通して造られたようです。

この氷川神社は、中世に建立されたことが書かれていました。

 

 

野火止用水へ*

 

この辺りからはまだまだ畑がたくさん残っていて、子どもの頃に住んだ東久留米のような雰囲気です。あちこちに野菜の無人販売所があるので、ついつい買いたくなるのですが、まだ散歩の序盤ですから我慢です。

 

畑の横に石積みの水路がありました。「史跡 平林寺堀」で、雑木林と畑の中を蛇行しながら水路が続き、そして陣屋通りまで流れているのですが、地図には載っていない水路でした。

ここからは、平林寺の雑木林を右手に見ながら、野火止用水の遊歩道を歩きます。

左手はずっと広い畑や果樹園、竹林が広がっていました。野火止用水の水がつくりだした風景でしょうか。

人参畑が多く、小さな白い花が咲いていました。

畑の真ん中にお墓が建てられている場所もありました。この地で生きてきた先祖への強い想いがあるのでしょうか。

どんな歴史と生活があるのだろう。

ところどころ小高くなった場所を蛇行しながら水が流れています。どうやってこの場所を見つけて用水路をつくりあげたのでしょう。

 

過去と現在を行ったり来たり考えているうちに道路に出て、水路は暗渠になり、そこに野火止公園と少し離れて野火止用水公園がありました。

これでほぼ野火止用水の主な区間を歩いたことになります。

このあたりは新しい住宅街という雰囲気で、そこからまたところどころ人参畑があり、そこを歩きながら、野火止氷川神社を目指しました。

 

道道路の前にあるこの氷川神社は、人参畑からは少し小高い場所にありました。

当社の創建は、江戸時代の承応二(1653)年と伝えられています。川越藩松平信綱公により野火止の地が開発された年で、以来村の鎮守として人々の崇敬をあつめ、五穀豊穣・天下泰平を祈り子々孫々お祭りが行われてきました。

 

しばらく水道道路を歩いたあと、黒目川方面へと左折すると、バス通りまではけっこうな下り坂でした。

バス通りを歩いていると、平林寺方面が一段と高い段丘であることがはっきりとわかります。

そしてその崖のような斜面にも、住宅がびっしりと建っていました。おそらく崖っぷちに家を建てる風景が増えたこの30年から40年ほどの変化かもしれませんね。

 

90年代ごろの「都民セコニック」行きのバスに乗ったら、このあたりは当時どんな風景だったのだろう。

なんとも残念でした。

 

 

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