母乳育児という言葉を問い直す 24 <「母乳権」と子どもたちの問題>

「母乳権」は日本でうまれた言葉のようですが、海外には同じような言葉があるのでしょうか。
あったとしても、おそらく大半の人が飢餓や食糧難に悩むことがない地域だろうと思います。


母乳権と聞いて私がまっさきに考えたのが、その日に使う塩さえ買い置きがない状況で常に空腹感に悩まされていたことや、ソマリアのほとんど物がない市場でビスケットを買い占めたことでした。


大人が栄養失調や食糧を十分に手に入れられない状況では意味をなさない、つまりあまり普遍性のない言葉だなと。


なぜ日本で母乳権ということばがでてきて、支持する人もいるのでしょうか?


<子どもたちの問題と因果関係はあるのか?>


「もっと知りたい母乳育児ーその原点と最新のトピック」(橋本武夫氏、2000年、メデイカ出版)という助産師向けの雑誌の増刊号があります。


その第一章「授乳ー育児の原点として」はこんな「はじめに」(橋本武夫氏)から書かれています。

本来、母乳は、まさに生物学的当為のものとしてのみ存在し、またそのように理由づけられるものであったはずですが、人工乳の出現と、その人工乳で育てられた子どもへの多くの問題点の増加から、また、人工乳に対しての母乳栄養としての利点から、母乳そのものの推進が強調されてきました。

もともと「母乳推進運動」は哺乳びん病を根拠に広がってきました。
「子どもへの多くの問題点」とは人工乳による栄養のデメリットかと思ったら、もっと違うことがかかれていました。


子どもにまつわる社会問題の考察


最近の育児にまつわる状況のなかで、乳児虐待、不登校、いじめ、自殺、あるいは母親がパチンコ中の車内熱中症による赤ちゃんの死、バスジャック、そして学校教育における体罰の問題などがあいついで報道されています。
それらに対し、行政、教育、保健関係者をはじめ、育児評論家など、多くの人々がいろいろな観点から、その対策に主張を重ねています。

しかし、学校教育や家庭教育における問題や、育児110番などの対策は考えられても、乳児期の母子関係までたどりつく主張はほとんどありません。いじめ110番やパチンコ屋に託児所を設けてはどうか?という場当たりな発想とよく似ています。子育ても、戦後のわが国の経済発展の影響による外注産業と同様に、家庭での教育も外注教育化している現状で、母と子、父と子の絆も希薄化しています。

そのようななかで、今だからこそ、もっと真剣に人間生物学的見地から、心からだの原点、すなわち母乳育児を含めた「母子関係のありかた」を見つめなおすべきであろうといえます。
すなわち、出産を頂点としての母親、家族、そして赤ちゃんとのかかわりかたのなかから、育児というものをとらえ、現在求められる育児、そしてその原点について考えてみると、結果的に行きつくところは「1歳までの育児」、そして「母乳育児」、すなわち「授乳」へとたどりついてしまうのです。

医療関係者が育児や社会問題について医学的な用語を使って語ると、なんだかどうもやっかいな方向になりやすい印象です。


ところで、2000年に出版されたこの本の中ではカンガルーケアについては、まだ最後の方の数ページで、しかもNICUで実施されているものが紹介されているだけでした。


その後、早期母子接触と呼び名を変えましたが、母子の当然の権利という強い主張へと変化し、分娩施設で急速に広がったのが2000年代でした。


もうしばらく、この本を参考にしながら「母乳権」の背景を考えたいと思います。




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