母乳育児という言葉を問い直す 26 <「母乳育児」は女性への思いのメタファー?>

「母乳育児」で検索していくうちに、BeanStalk社の「『母乳栄養』から『母乳育児』へという記事がありました。



こちらの記事で引用した「もっと知りたい母乳育児ーその原点と最新のトピック」(2000年、メデイカ出版)の監修をされた橋本武夫氏のインタビュー記事です。


BeanStalk社というのは哺乳瓶や粉ミルクを製造販売している会社です。


冒頭で橋本氏は、「最近のミルクは免疫をのぞいてはほぼ完璧になったといってよいでしょう」「母乳とミルクを物質的に比較する時代ではなくなった」と話しています。
そして「母乳の有用性」に対して、このように述べています。

 日本は、世界でもっとも赤ちゃんの死亡率の低い国になりましたが、半面、社会的な問題が急速な増加傾向にあります。いわゆる、いじめや虐待犯罪なども含めて、それら子どもにまつわる問題の防止策のひとつとして、母乳育児、すなわち、抱いて、語りかけ、おっぱいという授乳行為による母子の絆の構築というものがあらためて注目を集めてきているといえます

冒頭でも、「本来母の胸から母乳を飲むというのは、『生物学的当為』という言葉で表されるように、哺乳動物である人間にとっては、当然の行為です」と話しているので、どうやら「母の胸から母乳を直接飲む」ことが重要視されている印象です。



<それをした場合としなかった場合は?>



「いじめや虐待などの社会問題を解決するには、お母さんと赤ちゃんの、授乳期間にまで遡る必要がある、と」という質問に、「日本における、母乳育児推進の最大のポイントはそこだと思います」と答えています。



さて、「母乳育児で育った赤ちゃんと、そうでなかった赤ちゃんとでは、社会的な問題に発展するリスクが変わってくるのでしょうか?」という質問に、以下のような話が続きます。


橋本 分娩後すぐ、初乳を飲ませる前に、まずはお母さんに赤ちゃんを抱っこしてもらうことを「早期母子接触」といいます。このとき赤ちゃんは、お母さんの胸に抱かれ、お母さんの肌のやわらかさ、あたたかさ、そして嗅覚を元にお母さんの乳首にたどりつき、自分でお母さんの乳首に吸い付き、五感を元にしてお母さんの情報を脳にインプットします

つまり、最初の「母と子の呼び愛」ですね。このバースカンガルーケアが行われた場合、お母さんの育児放棄や虐待率は少ない、といったデータがあるんです。その背景には、産後、赤ちゃんに乳首を吸われることによって刺激される2つのホルモンがカギを握っているんですね。「プロラクチン」と「オキシトシン」というホルモンで、別名「母性愛ホルモン」と呼ばれています。これがこの日に何回となく繰り返されるわけですから、ホルモンは、赤ちゃんに乳首を吸われることによって、どんどん沸き上がってくる。このことによって、「赤ちゃんがかわいい」「守ってあげたい」という気持ちが沸いてきます、そういう意味で、母乳育児は、愛着構築の第一歩といえるわけです。

乳業会社側の、「それをした場合としなかった場合」についての問いには答えられていないようです。


そうでしょね。
「母の胸に抱かれて、直接乳首を吸わせる母乳育児を行うことで、社会的な問題が減少する」と言われても・・・。



ここまで読んだだけでも、科学的なものと科学的でないものを思い出して、「母乳育児」という言葉はニセ科学に近いフィールドがあるという印象です。


<「乳首を吸われて初めて母親になる」>


さて、その続きにこんなことが書かれています。

昔のおじいちゃん・おばあちゃんは、「女は子どもを生むだけでは母親になれんぞ」という言葉をよく言っていました。では、どうすれば母親になれるのか。答えは、字で示されているんです。「女」という字に点々をつけると、「母」になる。その点々は何か、もうお分かりですね。そう、おっぱいです。女性は子どもを産んで、乳首を吸われて初めて母親になるんだぞということを、科学や生理学がまだはったつしていない時代から、先人は体験や生活、文化の中で知っていたんですね。これはずごいことだと思います。

女性の中にも、「子どもを産んだ」「母乳で育てた」、あたりが自分の存在のよりどころになる人はいることでしょう。
だからこういうことを言ってくれる男性の存在も必要なのかもしれません。



そう思いたい人は思えばいいれど、私個人はこういう前近代的な思想からはもう解放されたいという気分。


こちらで紹介した本もそうですが、一部の男性の中にある自分の女性像のようなものの投影が、「母乳育児」という言葉には見え隠れするのですよね。





「母乳育児という言葉を問い直す」まとめはこちら