境界線のあれこれ 68 <絆と呪縛>

「絆」という日本語が、あちこちから聞かれるようになったのはいつ頃からだったのだろうと思い返していますが、記憶があいまいです。


災害がおこると、その後しばらくは「家族の絆が深まった」「家族の絆が大切だと思った」というインタビューが放送されることが増えたのは最近になってからの印象です。
あるいは何か頑張って成し遂げると、「家族の絆に支えられて来たから」のように。


「そうだろうな、いろいろな人に支えられたのだろうな」と受け止めるような内容も、「絆」と表現されるとなにか急に現実的ではないドラマのように感じてしまうのです。
あくまでも私の受け止め方なのですけれど。


「絆」と聞くと、同時に「呪縛」という言葉が浮かんでくるのですが、この直感もあながち間違いではなかったことがWikipediaの説明にありました。

絆(きずな、きづな)は、本来は犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。


人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。


「絆」の語源由来辞典にも、「絆は犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことをいい、平安中期の『和名抄』にもその意味で使用例が見られる」と書かれています。
それがごく最近になって、「家族や友人など人と人を離れがたくしている結びつき」という使われ方が多くなったのはどういう変化なのか興味深いですね。



<いろいろな「母と子の絆」>



「母と子の絆」というと、まず最初に思い浮かべるのが、クラウスとケネル、そしてボルビイのボンデイングです。


「母と子のきずな」(Maternal-Infant Bonding)は、1980年代半ばには「親と子のきずな」( Parent-Infant Bonding)に改題されています。
この言葉や「母子相互作用」という言葉も、1980年代後半の教科書では使われていませんでした
つまり、本の題名として「きずな」は生き残ったけれど、元の「母子相互作用」については仮説が否定されたということになります。



日本で「きずな」が使われ始めたのは、もしかするとこの「母と子の絆」あたり、1970年代あたりではないかと想像しています。
そしてその後も、その絆とはなにか具体的なイメージはないままに生き残った言葉なのかもしれません。


ところで、「母と子の絆」で検索したら、真っ先にでてきたのがサイモン&ガーファンクルポール・サイモンが解散後に出した曲の「Mother And Child Reunion」でした。


このポール・サイモンの歌詞についての説明が書かれた、「『母と子の絆』についての解釈」というサイトがありました。
英語圏の人にも難解な歌詞らしいのですが、この日本語の説明を読んでも、ちょっと私には「母と子の絆」のニュアンスがわかりませんでした。
直訳の「母と子の再会」でもよさそうですし。


ただ、この解説を書かれた方は「邦題の『母と子の絆』は的を得たネーミング」だと受け止めているようなので、70年代には産科・小児科的な「母と子の絆」だけではない良いイメージで、「絆」が日本国内に広がっていたのかもしれませんね。


<いろいろな支え合い方>


1970年終わりから80年代初めにかけて「母子相互作用」という言葉は学びましたが、「母と子の絆」「親と子の絆」という言葉はまだ聞いたことがありませんでした。


80年代半ばから90年代にかけて東南アジアを行き来した時に、「生まれて来た子どもとのこんな関係もあるのか」と印象に残ったことが二つあります。



ひとつは、その国のキリスト教徒の地域ではすべての子どもに「養父母」がいることでした。


細かいことは忘れてしまったのですが、生後半年くらいになるとその子どもの「養父母」が決められてお祝いの儀式をしていました。
実の両親が健在でも、養父母が決められます。またその子の兄・姉にもそれぞれ養父母がいるのですが、必ずしも同じ大人ではなくてよいようです。
また、親戚である必要もないとのことでした。


万が一、実の親が子どもの養育が難しい状態になった場合、その養父母が子どもを引き継いで成人するまでは責任を持つというシステムのようでした。


もうひとつは、その国のイスラム教徒の地域での新生児の儀式です。
生後1〜2週間目ぐらいの新生児がいる家で、その集落の宗教的指導者を招いてお祝いの儀式をしていました。


村の人たちが総出でごちそうを作り、自由にその家に入ってお祝いをしていました。


その国に住んでいつも感じたのが、人とのつながりが濃いことでした。
遠くにいる親戚の親戚、あるいは親戚の友人の名前さえ覚えていたり、遠方から来た人を「そこに住んでいる親戚の家の近く」というだけでもてなすような感じです。


ですから、子どもたちもたとえ親に何かがあっても誰かが育ててくれるようなシステムがああり、また子どもにとっても親とは別の大人との関係があることは良いことだと感じました。


まるで旧約聖書の時代に戻ったかのように、私には驚きの連続でした。



うらやましいと思う半面、家族や地域あるいは宗教の呪縛を感じることも封印しないと生きていけないかもしれません。


「絆」と聞くと、現実の痛みをちょっと消してくれる幻想の言葉に私は思えてしまうのです。




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