もし、あの頃、こうしていれば  3 <10年やってわからなかったコツが20年やってわかる>

10年やってわからなかった怖さを20年やって知るのがお産です。
30年たって、ますます「こんなことが起こるのか」という怖さを実感しています。


ですから、私よりはもっと稀で深刻な状況に日々対応されている周産期センターの方々が、「お産にはマンパワーが必要だから、小規模な施設で扱わずに分娩施設の集約化を」という気持ちになるのは想像できます。
連日、産科診療所からの搬送を受け入れると、「診療所で分娩を扱うなんて怖い」と思うだろうな、と。


ただ、矛盾するようですが、「10年やってわからなかったコツを20年やってわかるのもお産」だと思うこのごろです。
有り体に言えば、手を出しすぎず、複雑なお産にしなくなるというあたりでしょうか。
妊娠中からだいたいの経過が予測できて、待ってみるタイミングや積極的に介入していくタイミングがつかめてくるので、おそらく産婦さんにとっても見通しがつかめて負担の少ない関わり方ができてきた感じです。
これは助産師だけでなく、産科医の先生を見てもそうだろうなと思います。
熟練した先生だと、医療介入するタイミングや判断が適切なので、複雑になりそうなお産でもお母さんや赤ちゃんに負担の少ない方法で分娩にしていけるようです。


年間何人かは周産期センターへ搬送してお願いしているのですが、だから小規模な分娩施設が危険なのではなく、その背景には何百人という産婦さんが安全に産科診療所で出産されているのですね。
そして、小規模施設だからこその目の行き届いたケアも可能になります。


ですから、今、過重労働や集約化で疲弊しきっている世代の方々もあと10年もすれば、どんな規模の分娩施設が自分にあっているのかが変化する可能性があるかもしれません。
その時に、産科診療所の選択がまだまだあるといいのですけれど。


<なぜ助産師に産科診療所の人気があるのか>


助産師全体の就職先希望の統計があるわけでもないし、どんな思いで就職先を選択しているかも人それぞれ思いがあることでしょうから、あくまでも印象の話です。


私は助産師になってから勤務した総合病院や診療所は、年間分娩件数が300件から400件前後ぐらいのところでした。
月にすると30数件前後です。
1980年代から90年代ぐらいでは大学病院での分娩数も1000件まではいかなかったと記憶しているので、平均的な分娩施設の件数だったのだろうと思います。
これくらいの人数だとだいたいお母さんと赤ちゃんのことも把握できますが、それでも入院中にほとんど関わることがなかった方になると記憶に残らなくて、向こうは覚えてくださっていても「あ〜ごめんなさい」ということになります。


最近は年間分娩件数2000件とか3000件という施設が増えてきて、そういう経験のない私には想像がつかない世界です。
そういう施設から移ってきたスタッフの話を聞くと、帝王切開が一日数件あったり、本当に大変そうです。
そして何より、こちらの記事に書いたように、分娩介助の機会が少ないことに悩んでいたようです。

大学病院から産科診療所で働くようになったスタッフの多くが、大学病院で数年以上働いていても分娩介助数が数十件しかなく、「ここで働くようになって、たった1年で大学病院の数年分の分娩介助経験ができた」と言われて驚きました。

90年代ごろなら、総合病院で2〜3年もすれば100件、200件という介助数は当たり前だったのですけれど。


さらに、自分がまだ十分に経験できていないのに後輩を指導しなければいけないことも大変そうでした。

どんどんと新卒が入ってくるし、NICUや病棟などに一旦配属されれば、分娩介助からは遠ざかってしまいます。


そんな状況に追い打ちをかけたのがアドバンス助産師制度だったことでしょう。
私たち世代には難なくこなせた「100例の分娩介助数」ですが、今ではいつ到達できるかわからない状況が分娩施設の集約化の裏で起きているのに、「100例」を条件にした民間資格ができてしまいました。


<もし、助産師の世界が産科診療所の存在を認めていたら>


大学病院や周産期センターで数年間勤務してようやく分娩経験数数十例という助産師は、分娩介助以外は中堅から達人レベルの経験になっているので、判断力も技術もあります。
そういう基礎がしっかりした方たちは、慎重に分娩経験を積んでいくので即戦力にもなります。
また、やはりお産や新生児の怖さをたくさん経験しているので、自然なお産とかフリースタイルとか院内助産とか、あるいは母乳だけでといったこだわりも強くなく、目の前の母子の状況をよく見て対応してくださる方が多いという印象です。
「分娩経験数100例」でアドバンス助産師と名乗らせる必要は全くないと思います。


むしろ、最初の数年の基礎をきちんと作った助産師が、分娩技術だけでなく、一人一人の個別性に合わせた妊娠・出産・育児支援、そしてさらに保健センターや地域との繋がりへと経験を積む場所として産科診療所の規模が適しているのではないかと思います。


そして本人が出産、育児の時期に入れば、少し仕事のペースを落として産科診療所で働きながら周産期医療から離れずにいられます。



分娩や新生児の異常を知り、慎重に分娩介助経験から学べる人は、きっと10年20年とたつうちに、手を出しすぎず、物事にこだわりすぎず、複雑なお産にしないような技術を習得していけることでしょう。
あるいは授乳支援についても新生児の異常を知った上で、なんでも「育児は母乳から始まる」かのような関わりだけでなくその母子の経過の見通しがたてられ、退院後の生活まで配慮したアドバイスもできるようになり、結果、お母さんと赤ちゃんを追い詰めることが少なくなることでしょう。
それこそが、助産師のキャリアパスではないかと思います。


こういう合理的な流れをあえて無視してきた助産師の世界は、本当に独特のこだわりが強いから辻褄が合わなくなってきたのだと思うのです。



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