助産師だけでお産を扱うということ 8 なぜ歴史の教訓が生かされないか

残念ながらまだ丹波のあたりは散歩をしたことがないので、どんな地形でどんな街なのか想像がつかないのですが、丹波と聞くと思い出すことがあります。

日本で助産婦がお産の責任を負っていた頃で紹介した話です。

 

再掲します。

自宅分娩以上の安全を求め昭和30年代半ばから相次いで助産所による母子健康センターを開設。自宅から施設へと分娩が移った。当初はセンターの利用者が多かったものの事故が起きるなど、より高い安全性を求め、診療所や病院など医師がいるところで出産するようになり、10年から15年ほどでセンターの助産業務は休止された

 

助産婦さんが医師を呼んだが助けられないことがあった。助産婦さんは大分苦情を言われ気の毒だった。事故をきっかけに利用する人も減り、常勤の医師もいないので、役割が終わったとして町がセンターを閉めてしまった

 

引用元の井関友伸氏のブログが閉鎖されてしまったので全文を確認できないのですが、今から10年ほど前、丹波篠山医療圏の医療を考えるといった内容だったと思います。

地図で見ると、丹波市丹波篠山市が隣接しているのですが、今回の「公立助産所」の話が出た地域と重なるのでしょうか、それとも違う地域でしょうか。

 

そのブログの記事では「産科医ら意見交換『安全なお産』を考える 丹波『未来新聞』」という記事の中で、昭和30年代の誰もが医療にかかることができ、医師のいる施設で分娩が可能になり始めた時代の記憶を医師が語られたものです。

 

ただ、一気に「誰もが病院や診療所に入院できる」システムになったわけではなく、母子健康センター助産部門という助産師だけの施設が必要とされた時代がありました。

「正常なお産だから助産師だけで良い」とか「自宅で、畳の上で産みたい」といった信念ではなく、自宅での出産しか選択がなく、さらに助産婦さえ呼ばれずお産にゼニをかける必要はないという時代から、少なくとも助産婦が立ち会うお産へと世の中の意識を変えていく必要があったようです。

 

さて、その井関友伸氏のブログでは、産科医二人の発言が記録されていました。

また全国的な産科医不足のあおりで言われる助産所の活用について越川医師は「経験から言うと最初はいい。しかし、一つ何かあると腰が引け、医者にどんどん負担がかかる。助産所助産師も助けに行く医師も両方しんどいのではないか。病院や診療所から独立した建物でやるのは無理」との見解を示された。 

 

上田医師も助産所について、「なくなった母子センターの復活を考えるようなもの。人の安全への意識は変わらない。ニーズがあり、どうしてもやれと言われるのなら院内助産所。離れたところではできない」と語った。 

 

もし新聞記事がこの検討会と同じ市であれば、市の担当者の方々はこの時の議事録を読み返してみたら良いのではないかと思いました。

 

 

 

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