沐浴のあれこれ 5 <新生児の不安>

「不安とは何か」考えていたら、人はいつごろから不安を感じるのかが気になり始めました。


私は、出生直後の新生児にも「不安」を表現する行動があると思っています。


たとえば、何を伝えようとしているのかに書いたように、激しく啼く新生児にも声をかけるだけで啼きやんだり、啼き声のトーンが下がります。
新生児にとっては「初めて体験することへの不安」を「危険だ」と啼き声のバリエーションによって伝えているようです。


あるいは啼かなくても、緊張した様子の表情もあります。
いえ、このあたりになると、その事実をどう受け止めるかは人によってかなり差があるので、「そうは見えない」人もいることでしょう。


最初のオムツ交換の時、着替えさせようとしたとき、体温計を首にはさまれた時、微妙な表情になります。
「ハッ」という感じで少し表情がこわばります。
「大丈夫ですよ」「着替えますね」などと声をかけると、少しだけまた表情が変化します。
こんなに生まれたばかりの人でも、何かの不安で緊張し、そしてそれに対応してもらえると安心感を得るのかもしれないと思っています。


でも私たち世代も今も、新生児の感情は「快と不快しかわからない」と学んでくるので、なかなかその思い込みから新生児の不安まで見えないのかもしれません。


<病院の沐浴槽>


さて、新生児をお風呂に入れることを沐浴といいますが、私が看護学生の頃に教わった沐浴方法がほとんどかわらないままであることに、周産期看護の遅れを感じています。



たぶん、どの施設でも沐浴層はこんな感じかもう少し大きめの設備で実施しているのではないかと思います。
お湯をなみなみと入れて、新生児をお湯の中で浮かせながら入れる方法です。


こんな広さも深さも要らないのに、と思います。
慣れないお母さんたちは、産後のまだ腰痛が起こりやすい時期に無理な姿勢で入れて、「沐浴指導」に冷や汗をかいてまたひとつ退院後の生活に不安を抱えることになります。


そして新生児にとっても、お湯の中でどこにも体が密着する部分がない不安は相当なものだと思います。
お母さんたちには、「こんなたっぷりのお湯で入れる必要はないですよ。初めて泳ぐ人を、いきなり水深2m以上の競泳用のプールで泳げというようなものですからね」と説明しています。


あのたっぷりの浴槽に初めて新生児を入れると、いきなり体がゆらゆらと動く心もとなさに、緊張した表情になったり啼き始めます。
そんな時には、沐浴槽の端のほうに赤ちゃんの体を密着させて安心させます。
どこか、体の一部が何かに触れていれば安心できるのは、大人でも同じですよね。



もっと浅めでお尻がしっかりつくような、ちょっと大きめの洗面器ぐらいの沐浴槽で十分なのに。
そしてお湯の中で石鹸をつけながら洗うなんて難易度の高い方法でなくても、外で必要な部分だけ石鹸を使って洗い、そのあと掛け湯をたっぷりとかけて石鹸分をしっかりおとせるような構造にしたほうが、皮膚のためにもよさそうですよね。



あの沐浴槽が分娩施設で使われるようになったのは、いつごろからでしょうか?


私が生まれた1960年代初頭だと、まだまだ医療機関でもお湯をたっぷり準備することはかなり贅沢だったのではないかと思います。
お湯を潤沢に使えるようになった1970年代頃でしょうか?


ところで、何の機会だったか忘れましたが、皇室にある沐浴槽と同じものを見たことがあります。
今の皇太子あたりから使ったもののようですが、病院の沐浴槽の1.5倍はありそうな水深です。


もしかしたら、沐浴指導方法を考えた人たちの皇室への憧れのようなものが、沐浴槽の深さにもあるのだろうかと考えてみたのですが、真相はわかりません。




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