夕方からの豊かな時間の過ごし方

日頃音楽をほとんど聴かなくなったのですが、アイリッシュ・ダンスを観に行ったあとはしばらくNightnoiseケルト音楽を流しっぱなしにしています。



先日のトリニティ・アイリッシュ・ダンスの楽しい時間に、ふと、「あ、この場でギネス片手に飲みながら観れたらもっと楽しいかもしれない」と思いました。
きっとアイルランドだったら、こういう音楽やダンスが身近にあって、おしゃべりしたり一緒に踊ったりするのでしょうね。



1980年代に初めて東南アジアで暮らした時に、音楽が生活の一部になっていることが印象的でした。
それまで音楽を聴くというのは、コンサートにしてもステレオの前にしても、少しかしこまった感じか、あるいは一人で聴くものでした。


その国では、ちょっとした街には必ず生演奏をバックに食事ができるレストランがあって、特別な日でなくても、夕暮れになると気軽に出かけていました。
音楽が身近というだけでなく、夕方から夜にかけての過ごし方がなんてゆったりしているのだろうということが驚きでした。



夕方5時ころから8時か9時ごろまでの、日本と同じ3〜4時間のはずなのですが、なぜこんなにゆったりした時間を毎日過ごせるのだろうと、初めて味わった感覚でした。
日本だと休日でも仕事のある日でもなんだか気ぜわしいし、翌日のことを考えると遊んでいても気が重くなったのですが。


そういうレストランに行かなくても、玄関にあるベンチに腰掛けて、本当に夕方の時間は静かにのんびりと過ぎていきます。


夕空の色が変わって闇が迫り、そして月や星が輝き始めるのをただ眺めていられる。
日本にいたときには、「時間がもったいない」「あれもしなきゃ」「明日に備えてこれもしなきゃ」と追われていた時間なのですけれど。


ああ、でもきっと日本ではこういうゆったりした時間の実現は難しいのでしょうね。
だって日が長くなるともっと早起きして働く時間をという流れになるのですから。
日本でサマータイムを楽しむのなら、労働時間を6時間ぐらいに、通勤時間や残業を含めて8時間以内にしようぐらいの大改革が必要そうですね。



そして生演奏を聴きながら軽い食事を手頃な価格でできる場所があちこちにできて、夕方から夜の時間をのんびり過ごせたら。
きっと、もっと生活の質が良くなるような気がします。