ケアとは何か 12 <基本的欲求にどこまで対応できるか>

昨年、まだグループホームで生活していた頃の父は、排泄に関しては自立していました。


自分で尿意や便意を感じて、間に合うようにトイレへ行く。たまには間に合わず、スタッフの方々にお手数をおかけしたこともあるとは思いますが、スタッフの皆さんは家族にそのことを話すこともなく父の尊厳を守ってくださったのではないかと思います。


年末に脳梗塞で半身麻痺になってから、父にとって排泄の自立が損なわれたことが一番の苦痛だったのではないかと感じました。


脳外科病院に入院していた時には、「トイレに連れて行ってくれ」と自分で伝えることができていましたから、便意があれば看護スタッフの方々が半身麻痺の父をトイレに連れて行ってくださっていました。それは本当にスタッフの方々には重労働だと、私もよくわかります。


それまでいたグループホームは基本的に歩ける人が対象で車いすに対応した設備ではなかったので、介護病棟へと生活の場を変えることにしました。


60人近い認知症の方々を、日中でも10人位の看護・介護スタッフで対応しています。
看護・介護にはそのケアをするために準備から後片付けそして記録まで付随した業務があり、ぱっとみただけでその仕事量やペースが私には想像できるので、スタッフの方々がどれだけ頑張ってくださっているのかがよくわかりました。


転院した頃、父は「トイレに連れて行ってくれ」と何度も何度も言いました。
面会がちょうど食後の便意を催す頃にあたると、父の表情が険しくなるのがわかりました。
車いすへ移ったり、片足立ちしたりするリハビリも始まっていなかったので、対応してあげたいけれど私の力だけでも無理ですし、父だけ特別にトイレへお願いするというわけにもいきません。


入所されている方の中には、同じように脳梗塞後の方がいて、少しずつリハビリが進み、車いすからトイレへ自分で移れるようになっている方もいました。


「トイレで自分で排泄をしたい」
そういう気持ちが、うまくリハビリにつながっていくことを期待していました。


でも、昔からすべてにおいて計画的で冷静であった父が、なぜかこのリハビリだけはうまくいきませんでした。
立ち上がる訓練は嫌がり、なかなかリハビリが進まない毎日でした。


驚くほど車いすの運転が上手になるのは早かったのに、自分の力で立てる限界についてはなぜか冷静に判断できず、そのまま車いすでトイレへ突進してはがっかりした様子で戻ってくるのでした。
冷静な判断、これが認知症になって父が失った最も大きい能力なのかもしれません。


車いすでトイレまで行けるのですからあとは介助すればよいのですが、それを常に可能にするには十分なスタッフ数が必要であることが痛いほどわかります。
父の排泄の介助を常時対応するには、私の給与以上の入所費が必要になるような施設に移るしかないことでしょう。


経済的にもそれは無理ですが、なによりその介護病院の方針や雰囲気に信頼を持っていたので転院は考えられませんでした。排泄はオムツに慣れてもらうしかない、それが現実だと自分を納得させようとしました。


時間が経つにつれて、「トイレへ連れて行ってくれ」とイライラする様子を見せることがなくなりました。
でも父の表情で「あ、排泄の方に気が向いているのだな」とわかるので、そっとスタッフの方にオムツ交換をお願いしたり、早めに面会を終えるようにしています。


年末の脳梗塞の発作後に小さい発作があったことも原因だとは思いますが、トイレへ行く意欲を表現しなくなった頃から、徐々に父の言葉や行動が少なくなってきたようにも感じます。
いえ、いつかは父も誰かの手に排泄を委ねなければいけない現実を受け入れなければいけないのですが。


その病院では食事もおいしいようですし、いつもシーツがきれいに交換されています。病棟に入ると、オムツ交換の時間後には消臭剤でできるだけ臭いが感じられないように気遣われています。


ただ、基本的欲求の中でも排泄とは大きな因子なのだと、父の様子を見ながら自責の念とともに理想と現実のあいだで折り合いをつけるために気持ちを整理しているところです。



ケアについて「看護と介護の『ケア』」あたりから、「ケアとは何か」を書いています。



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