プールに行くと、今は身につけていない人の方が珍しいぐらい、誰もが使っているのがゴーグルです。
こちらの記事に書いたように、1980年代の公共のプールでは、まだゴーグルを使う人の方が少なかったような印象があります。
キャップはかぶらずにスキンヘッドで泳ぐ競泳選手はそれほど珍しくないのですが、ゴーグルをしないで泳ぐ競泳選手はほとんどいませんね。
唯一、記憶にあるのがロシアのコマロワ選手です。
私が背泳に魅せられたきっかけになった中村礼子さんと同じ頃に活躍されていた選手で、ゴーグルをしないことが彼女のトレードマークのようになっていました。
当時は、背泳ぎだからゴーグルをしなくても大丈夫なのかなぐらいにしか受け止めていませんでしたが、むしろ今の方が、泳ぐたびにコマロワ選手はなぜゴーグルをつけなかったのかが気になっています。
特に、背泳ぎのスタートやターンからの浮き上がりの時に、彼女の目は何を見ていたのか。
それとも目をつぶっていたのか。
私が背泳ぎに挑戦し始めた当初は、初心者の誰もがするように、壁を蹴ってスタートしても怖いので、水中に潜らないぐらい水面すれすれのところから泳ぎ始めていました。
その泳ぎ方なら、ゴーグルはあまり必要ないかもしれません。
競泳大会を観戦していると、背泳の選手はけのびだけで数m以上進み、バサロキックで10数mの手前で浮き上がっています。
こちらの記事で紹介したロクテ選手のバサロキックのように。
あれをやってみたいと思いました。
やってみると上向きに潜ることは案外、恐怖心が出るものでした。5mぐらいで浮き上がってしまうのです。
当時、水泳のブログを探して読んでいるうちに、どなたが書いたものか忘れてしまったのですが、「背泳ぎのスタートで、水面が青く見えるのは本当にきれい」というようなことが書かれていて印象に残りました。
確かに。
壁を蹴ってその推進力でただまっすぐ進んでいくだけで、水面は穏やかで、目の前に青く美しい風景が見えるのです。
「もう少し長くこの風景をみたい」と、それを繰り返していくうちに、自然とけ伸びだけで進む距離が進み、今は軽く最後に2回ぐらいキックを入れるだけで10m以上は進めるようになりました。
その間、ずっと目を開けて水面を見ています。
ゴーグルがあるからこそ、あの美しい水面を見続けられるのです。
また、水面を見ながら自分がまっすぐに進んでいるか、どれくらいのスピードなのかも確認しています。
ゴーグルがなかったら、あるいは目を閉じていたら、この感覚はどうなるのだろうと、あのコマロワ選手のスタートを思い出しながら気になっているのですが、ちょっと試す勇気がありません。
<たかがゴーグル、されどゴーグル>
Wikipediaのゴーグルの「水泳用」の説明にこんなことが書かれています。
競泳競技では、屋外プールでは濃色のもの、単調な練習に集中するため視界の狭いもの、他選手のペースを確認するため視界の広いもの、水の抵抗を軽減するためアイカップが小さいものなど、が使用される。
競泳選手のゴーグルは色や形もさまざまですが、好みや使いやすさのような理由なのかと思っていました。もっと目的別に作られていたのですね。
シンクロナイズドスイミング競技、飛び込み競技、水球競技では、練習中に自分の姿勢を確認したり、チーム、デュエットでは他の選手との姿勢、間隔、同調性を確認するために使用される。
たしかに練習風景ではゴーグルを使っていますが、本番では、見ている風景が全く違うものなのですね。
ゴーグルなしに水面から水中と移動し続け、つらそうな表情も見せず、そして聞こえづらい音楽に合わせて演技し続けるシンクロはあらためてすごい競技だと思います。
1960年代ぐらいまでの競泳大会の画像ではゴーグルをつけている選手をみないのですが、いつごろからゴーグルが競泳に使われるようになったのでしょうか。
1992年のバルセロナオリンピックで岩崎恭子さんが金メダルをとった時の映像を見ても、ゴーグルをしている選手がいないようです。
その後、ゴーグルが登場したことで、もしかしたら飛躍的に記録が伸びた時期があったのかもしれませんね。
あの高速水着で揺れた時期のように。
いつごろから広がり始めたのでしょうか。
競泳の記録更新が限界に近くなったら、もしかしたら「ゴーグルをしないで泳ぐ」とかブラインドゴーグル着用という条件といった、負荷をかける競技にかわるかもしれませんね。
ところで、リンク先のWikipediaに「エスキモーが用いたゴーグル。木の板に薄い覗き穴が空いている」という写真がありました。
きっと、氷点下数十度での強風や氷に反射する日光から目を保護するために、こういう形を考えついたのでしょう。
もしかしたら、これが競泳用のゴーグルの原型なのでしょうか。
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