多様なスタート

「競泳、スターター」で検索していたら、「日本障がい者スポーツ協会」の「かんたん水泳ガイド」という資料を見つけました。


私自身もだんだんと老化という障害が増えていくなかで、それでも泳ぎ続けることができたらと書いた記事がいくつかあります。

水は誰をも受け入れてくれる
水の中から出て水に戻っていく
独創性のある泳ぎが、泳ぎの究極の目標に近づく
「人は目印がなければまっすぐ泳げない」


1990年代頃の私はパラリンピックの存在を知らないほど、障害者スポーツについて何も知らなかったのですが、通い始めたプールで体に麻痺があってもスムーズに速く泳がれる方々見た経験は、それまでの私の「障害者」という固定観念を打ち砕くものでした。


それでもしばらくは、自分とは無縁な世界とどこかで距離を置いていたのだと思います。
50代を迎えるころから、老化という正常と異常、あるいは健常と障害という境界がわかりにくくなったことで、パラリンピックで活躍される選手が身近に感じるようになりました。


昨年の夏は、初めてパラリンピックの競泳も少し録画して観ました。
水の中では補助具もなく自分の体に残された能力を最大限引き出すところは、他の競技とはまた違うところなのかもしれません。


あるいは、「人は目印がなければまっすぐ泳げない」で書いたように、視覚障害者のレースの場合には全く光が入って来ないブラインドゴーグルを着用することを初めて知りました。
この場合は、たとえばかすかに光を感じるという「残された能力」をあえてゼロにし、条件を揃えるための補助具ということになるのでしょうか。


スタートの風景も、パラリンピックの競泳は独特です。
スタート台から飛び込む選手もいれば、水中からのスタートと、スタート自体がそれぞれに応じた方法になっていました。


冒頭の資料では、「さまざまなスタート法」に多くのページがさかれていました。


競泳大会で聞き慣れている「Take your mark」とピストル音のスタート合図ですが、聴覚障害選手のレースでのスタート方法も説明されています。


プールへの入退水やスタート・ターン・ゴールでの補助サポーターの方法も、一人一人の障害や個別性によって同じサポート方法というわけにはいかないことでしょう。
あるいは競技ルールそのものも、障害の状況に合わせて公平性を保つために独自ルールがあるようです。


資料の3ページ目の「競技の概要」にこう書かれています。

しかし、「障がいによってできないこと」や「ケガをしてしまう恐れやそれによって障がいを悪化させてしまうこと」を考慮して、ルールを一部変更しています。

競技ですから、より抵抗のない泳ぎへと自分の泳ぎを極めて速さや記録、あるいは順位を競うことも目標になると思いますが、多様な障害に合わせてどう公平性を作り上げるかという周囲の理解と変化も一体になった競技といえるのかもしれません。


「スタート合図」ひとつとっても、本当に奥が深いですね。