水のあれこれ 41 <独創性のある泳ぎが、泳ぎの究極の目標に近づく>

録画してある番組が溜まる一方で、なかなか時間がないのですが、楽しみにしていた木村敬一選手の録画をようやく見ました。


以前、偶然観たパラリンピックの競泳大会の泳ぎをみて、きれいな泳ぎだと印象に残ったのですが、あの野口智博氏がコーチをしていらっしゃることを後で知りました。
ということで、2倍の楽しみ!と録画しておいたのでした。


放送内容には、「金メダルへの挑戦」といったシナリオが書かれているように、番組でもいかに厳しい訓練をしているか、栄養管理のために近所の食堂の人たちもサポートしているといった、パラリンピックに向けての感動話になっていてちょっとがっかり。


もう一人のコーチの「木村はやればできる」といった言葉や、野口智博氏の「金メダルですね」といった言葉も、きっと発言の一部を切り取られて編集されたのだろうなという印象でした。


<イメージトレーニング>



この番組を見る前に私が期待していたことがありました。



20年以上泳ぎ続けて、あるところからふと自分でも速く泳げるようになったり抵抗が少ない泳ぎになる段階があると感じています。
もちろん日々の練習の積み重ねでもあるのですが、もっと抵抗のない泳ぎを間近でみることはとても大きな刺激になります。


いつも通っているプールや、競泳選手の泳ぎです。
ちょっとした腕の掻き方や体幹の浮き方、そんなところを見て学ぶと、「あっ、この感じ」とさらに抵抗が少なくなるのですね。


そして競泳大会の録画を繰り返しみているうちに、泳ぎ方やペース配分などをいつの間にか体に取り込んでいる感じです。


「見る」
イメージトレーニングには欠かせない視覚です。


木村選手はどうやってあの美しい泳ぎとスピードを、イメージトレーニングするのか。


その1点を期待して録画を観たのでした。


<速さを肌で感じる>


木村選手は泳ぎ方について、さらりと「コーチから説明を受け、頭の中で想像する」と答えていました。


2歳で視力を失った方が、何をどのように具体的に想像するのか。
その点が視覚障害について私の想像を越えるもので、理解することが難しい部分だと思います。
自分がその立場になってみないと絶対にわからない感覚ですし、今たとえ私が中途視覚障害で視力を失っても、過去に「見た」状景がたくさん記憶にあるので想像することはできます。


目を閉じればその説明通りの状景を思い浮かべられる私と違って、木村選手の「想像する」というのはどういう状態なのだろう。


そのヒントが、放送内容の説明にある「伝説のパラリンピアン」河合純一さんとの試合の話にありました。


「自分が50mを泳ぐ時、(河合さんは)100mを泳いでいた」「速いと肌で感じた」
そんな言葉でした。


相手との速度の差は、コース内の水の抵抗の変化や水面の波などで感じたのでしょうか。


<独創性のある泳ぎが、泳ぎの究極の目標に近づく>


柴田亜衣さんが、別の番組で「パラリンピックの独創性のある泳ぎに興味を感じた」という話を、 「水の中から出て水に戻っていく」の記事で紹介しました。

(障害といっても)どこからないか、片方がないのか、障害の種類は一人一人違って、それによってバランスの取り方が全然違う。

今回の木村選手の様子を見ていると、障害のある分、他の感覚が研ぎすまされている印象を受けました。


がむしゃらに練習をしたり根性で速くなるのではなく、自分の体の動きと水の抵抗を記憶しながら、無駄なことを削ぎ落としていけばおのずとスピードも出てくるし、美しいフォームにもなる。
それは障害があってもなくても同じ。
それが水泳なのではないかと思いました。


こちらの記事で紹介した野口智博氏の著書の、この部分につながるのでしょう。

言うなれば、水泳は誰にとっても伸びる余地をたくさん残したスポーツなのです。



「水のあれこれ」のまとめはこちら
野口智博氏についての記事のまとめはこちら