助産師の世界と妄想 23 <助産師の「歴史」話>

前回の記事で「こういう『歴史』はすでに読んだことがある」と書きました。
そう、お産の歴史のように見せて、実は「助産師の世界の歴史」になっている文章です。


日本看護協会のホームページに「助産師の部屋 ー助産師ってなあに?ー」というサイトがあります。
直接リンクできないので、上記名で検索してみてください。

助産師の部屋〜助産師ってなあに?」は、2013年8月から2014年3月まで、株式会社ベネッセコーポレーションのホームページに掲載されました。本会の福井トシ子常任理事や助産担当者が、助産師の役割や活用、妊産婦や子育てに関する情報などを紹介したブログ記事です。

その中に「助産師の歴史」があります。
読んだ感想は、「検証も経ていないこういう内容を歴史として語ってしまう助産師の世界はすごいな」というものでした。


<第6回 「お江戸の産婆」より>


まず「お江戸の産婆」から紹介してみましょう。

連載の冒頭、その昔、"助産師は、産婆と呼ばれていた"と紹介しました。
今回は、その産婆、助産師の歴史を散策してみます。お付き合いくださいね。
人類の歴史の中で、お産は長い間、多くの文化圏において、妊産婦の親族や周囲の女性たちによって取り上げられ、伝承されてきました。
女性が命をかけて、次の命をこの世に産み出すための"お産"の介助は、単に「産ませればいい」のではありません
母子共に安全で健やかに経過すること。


出だしからつじつまが合わない話ですね。


順番としては、「妊産婦の家族あるいは周囲の女性による分娩介助」があり、その経験を積んだ女性が産婆になり、そして医療の中で教育や資格制度が形作られて、より専門的な知識と技術を持つ助産婦になりました。
その過程を押し進めたのが、「母子共に安全」という究極ともいえる目標です。


けれどもどんな専門職も未熟なところからスタートし達人へと向かって行くなかで、現実にはうまく対応できなかったり失敗もあることでしょう。
あるいは10年やってわからなかった怖さを20年やって知るのがお産ですから、母子が死亡するとか障害が残るとか最悪の事態にならないようにとより慎重になることでしょう。


ところが、こういう助産師を語る人たちは頭のどこかに「産ませてやるみたいな医療従事者がいる」という、まるで仮想敵がいるかのようです。


そしていかに自分たちが社会の中で大事な存在であるかを確認しないと落ち着かないようです。
江戸の産婆の話は以下のようにしめくくられています。

お産の介助を行う産婆は、その役割の大切さから、日本でも早くから専門的な知識を認められ、女性の専門職としての地位を獲得してきました。

江戸時代、産婆は経験の蓄積を元に、妊産婦の世話・指導・相談、新生児の世話、分娩の介助をはじめ、産科手術までこなすなど、さまざまな役割を担っていました。


え〜っ、本当ですかね?
なんだか江戸時代のサムライと、今の近代的な装備をもった自衛隊や消防や海上保安庁も一緒と言っているかのような無理があると思います。


江戸時代、大名行列を前にしても、「お産がある」というと、大名行列を横切ることを許されていたという逸話まで残っています。
どんなにエライお殿様でも、「命」と「命を取り上げる産婆」の前では、特別な計らいをしたなんて、とても人間的でロマンのあるお話ですね。


ああ、助産師の世界は「自分が大事」な意識が脈々と続いているのでしょうね。
「歴史」を創造(想像)してしまうほどの。


もう少し、「助産師の歴史」話が続きます。




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