助産とは 10 <助産と「営業」>

ここ数年、助産所のHPを定点観測するようになって、ずっと気になっていた言葉がありました。


「営業」という言葉です。
ずっと病院と診療所で働いてきた私には、医療の世界ではなじみのない表現でした。
病院は「営業中」とはいいませんから。


現在でも、助産所のHPを見ると「『営業』時間」と書かれているものがあります。


助産所以外の医療関係者の中でも使われることがあるようです。
医療類似行為として国家資格を持つ、あん摩マッサージ指圧師・はり・きゅう師の方々の施術を目的とした施設にも時々見かけます。
その場合には、「診療時間」を使うよりは目的が明確でよいかとも思います。


でも、なぜ助産で「営業」(営利を目的とした業務)なのでしょうか。


<「遊郭の産院から」より>


琴子ちゃんのお母さんのブログのいつ、どこで染まるのかを探るで紹介されていた本で、営業に似た表現を見つけました。

遊郭の産院から
ー産婆50年、昭和を生き抜いてー」
井上理津子著、河出文庫、2013

兵庫県尼崎市で開業していた助産婦の人生を描いた本です。
1918(大正7)年のお生まれということですので、生きていらっしゃったら今年で95歳になっていました。


著者とこの助産婦との出会いが、まえがきで書かれています。
少し長いですが、その場面を引用します。

 私は前田たまゑさんと十年前、取材で知り合った。彼女が現役で、多くのラマーズ法出産を手がけていた頃である。先に書いたように、病院・医院での出産が「当たり前」で、助産院で出産する人は少数はだったが、口コミで彼女を知った妊産婦が関西一円から来院していた。
 取材に行った私を患者と間違え、「診察室へどうぞ」と言った前田さんは、「若い女の人を見たら、みんな"お客さん"に見えますねん」と笑い、苦学して産婆免許を取得し、以来約40年(当時)にわたって誠心誠意を尽くし八千人以上の赤ちゃんを取り上げてきたという話を聞かせてくれた。
「女の天職やと思って産婆になったのに、まさか男の医者にこんなにも"お客"を奪われるようになるとは思わんかった。
「お医者さんにとって妊産婦は患者やけど、私たちにとっては"お客さん"や」
「私がやっている昔ながらの手法にラマーズ法を取り入れたお産が一番。楽したいがために陣痛促進剤を打ち、会陰切開する医者のお産とは、月とスッポン」

この本は1996年に出版された「産婆さん、50年やりました」を文庫本化したもののようですから、著者が前田氏に出会ったのは1980年代前半の頃でしょうか。


私が看護婦として医療の世界で働き始めた頃です。
その後、1990年代には医療にもサービスという言葉が求められて「患者様」という言葉まで登場しましたが、それでも「お客様」という感覚をもつ医療従事者はほとんどいないのではないかと思います。


うまくいえないのですが、日本の医療現場には医療は営利目的ではないという風土があるように私は感じてきました。


もちろん経営感覚は必要なのですが、それは経営者側の話であって、実際に患者さんを診察・治療する医師やケアをする看護職は、利潤を考えずにただ目の前の治療やケアに専念することの方を好んでいるように見えました。



ところで余談ですが、産科では妊産婦さんのことを「患者さん」とは言わないようにしているところが多いのではないかと思います。
「妊娠・出産は病気ではないから、『患』者さんではない」という認識が強くあります。
患者さんと言いそうになって、妊婦さんとか産婦さんと言い換えることが私にもよくあります。


いずれにしても私が医療職として教育を受け働き始めた頃には、対象を「お客さん」と呼ぶことはありませんでした。


<産婆の「営業」許可>


私がもし大正時代に生まれて産婆になり、その後助産婦として働いていたら、やはりこの「営業」と「お客さん」という感覚が身についたかもしれません。


「出産と生殖をめぐる攻防」(木村尚子著、大月書店、2013年)に「営業」が使われている箇所があります。
前回の記事でも引用した部分ですが、再掲します。

また東京府は1876年、東京府病院内に産婆教授所を設け、新たに産婆を養成するだけでなくすでに開業している者に再教育を施し、また産婆の営業には必ず許可を要するという旨の布達をする。

その法律の原典を読んでいないので、「営業」という言葉が実際に使われていたかはわかりませんが、それまで誰でもトリアゲババとしてお産に立会いなんらかの利益を得ることが自由にできていた時代から、1876(明治9)年に初めて法的規制として近代産婆のみに許される時代へと変りました。


お産を介助することで利益を得られることを法的に認められた存在になる。


当時の女性にとって、このことの持つ意味はどれだけ大きなことであったでしょうか。
近代産婆たちがこの営業許可を手にした時代は、どんな雰囲気が産婆の間にあったのでしょうか。


それから30年ほどして、営業許可を持つ産婆に「助産」という言葉が使われ始めたと考えられるのは前回の記事で書いたとおりです。


同じ助産という言葉を使っていても、当時の産婆さんたち、あるいは大正・昭和初期生まれの助産婦さんたちと、現代の私たちは相当違うものをとらえているのかもしれません。




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