助産師の世界と妄想 24 <GHQに対する気持ち>

「産み育てと助産の歴史」の第3部第3章に「戦後の助産婦教育」があり、「1. GHQ公衆衛生局の助産婦『民主化』政策」とあります。


まだその本は目を通していないのですが、こんなことが書かれているのだろうとわかるのが、前回紹介した日本看護協会のホームページにある「助産師の部屋」の、「第9回 戦後の混乱と助産婦」「第10回 昭和の助産婦、そして平成の助産師へ」の内容です。


ひと言で言えば、「GHQ」で思考停止した助産師の世界の歴史物語というのでしょうか。


<「戦後の混乱と助産婦」>


「戦後の混乱と助産婦」にはこう書かれています。

終戦を迎えると、焦土の中、類をみない物資不足も加わり、病院機能のマヒが続きました。一方、満州樺太からの引揚者や、戦地から兵士が帰還したことで、空前のベビーブーム(年間出生数270万人)が到来します。
その9割以上は自宅分娩ですから、産婆は戦後の混乱にあっても、時代を駆け抜けるように全身全霊で多くのお産を取り上げていきました
全国各地で産婆がお産に忙殺されている頃、中央では以降の産婆の運命を変える、大きな制度変更の方針が占領軍(以下、GHQ)によって示され始めていました。


98%の人が自宅で産むしか選択がなかった時代には、あえて「自宅分娩」「家庭分娩」と言う必要がなかったことはこちらに書きました。


そして、助産師が「昔は自宅分娩だった」「家族に囲まれたお産だった」と語る時には、いつもその背後にある誰もが医療にアクセスできるようになった国民皆保険制度についてはあえて言及しないようです。


GHQであるアメリカには、当初、産婆の制度がありませんでした(イギリス等のヨーロッパ諸国には、産婆に相当する制度がありました)。当時のアメリカにおいては、お産は病院で行われるもので、自然分娩はむしろ少なく、多くは麻酔と機械を使った分娩でした。アメリカ建国の歴史を振り返ると、こうした医療依存度の高い分娩は、ある面において必然であったのかもしれません。さておき、自国に産婆の制度も歴史もないGHQにとって、産婆の存在は理解できませんでした。忙しすぎた産婆たちにも、また、自分たちの活動や役割、日本固有の文化や歴史的な価値観をGHQに十分に伝えるチャンスもありませんでした。

疑問だらけの文章なのですが、先へ進みましょう。


一方で、アメリカは、日本の医療と公衆衛生の向上に大きな意欲を持ち、勢力的に視察や検討等を行いました。加えて、GHQ担当者は日本の看護制度の改革と併せて、看護師の知識や技術の確保や、社会的な地位の向上、男女平等、女性解放をも、熱意をもって目指していました。そうしたGHQ担当官の崇高で強い使命感が、他国の文化や伝統・習慣への理解や、産婆の役割への洞察を曇らせたのかもしれません。
人間は「自分が正しい」と思うときほど、足元にある大切なことを見落としがちになるのは、洋の東西を問わないということかもしれません


本当に。
自分の理想が実現しないことも、すべてGHQを理由にし、そして歴史を語ってしまうのですから。
未だに「GHQが」という話になってしまうのを見ると、一部の助産師の病院嫌いは根が深いのだなあと思います。



そしてGHQという言葉は、私達が日々の仕事に忙殺されている間に、たぶん臨床のほとんどの助産師があまり必要と思っていない会陰縫合術の業務拡大とかアドバンス助産師とかが決められていく思想の源になっているようです。



「産み育てと助産の歴史」には、GHQに関するきちんとした歴史の検証が書かれているのでしょうか?



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