なぜ裸の王様を生み出すのか

昨日のつづきです。
「集団思考」の中に書かれている「先行する条件」と「集団思考の兆候」も、助産師の中に裸の王様とその予備軍を生み出している状況そのものだと思いました。

先行する条件


(1)団結力のある集団が、(2)構造的な組織上の欠陥を抱え、(3)刺激の多い状況におかれると集団思考に陥りやすい


<「団結力のある集団」>


1874年に「医制」で産婆業務が正常分娩に限られ、産婆教育が国によって行われるようになり、旧産婆から近代産婆の時代へと移り始めました。


その後1920年代には全国的な産婆の団体が作られていきます。
女性が職業を持つことがまだ限られた時代において、出産介助を法的に認められ高収入を得られる産婆の政治力がまとまり始めた時代でした。


このあたりの経過については、木村尚子氏の著書が参考になると思います。

「出産と生殖をめぐる攻防」
ー産婆・助産婦団体と産科医の100年ー


木村尚子氏著、大月書店、2013年

上記サイトの紹介に「男性医師の下位におかれながら」とあります。
また本の帯には「男性産科医の下位におかれながら、『母性』と『女性性』に依拠し、出産・生殖の専門家として生きる」と書かれています。


木村尚子氏はジェンダーの視点で研究されているので、「男性医師の下位におかれた」という見方になるのだろうと思います。
助産師の中にも「男性の医師の下になっている」と感じる人もいるかもしれません。


でも、19世紀末から現在までの1世紀の変化の最も大事な点は、出産が医療の中に含まれたということであり、より医学知識をもつ医師の下に産婆が組み込まれる医療の体制に大きく変化したということだと思います。



<「構造上の組織の欠陥を抱え」>


第二次大戦のあと保健婦助産婦看護婦法が制定されるまでは、産婆は看護職ではありませんでした。
あくまでも出産の専門家集団でしたし、そういう自負が強い集団でした。


それは、医師との間の「正常なお産の境界線」をめぐる攻防戦であり、「幻の助産師法案」に書いたように、「正常なお産」に薬品や縫合などの医療行為を許すことを求める動きにまでなりました。


ところが戦後、保健婦助産婦看護婦法によって助産婦は、看護婦の資格を持った出産の専門職に規定されました。


医療の内容が高度化していく中で教育内容を考えれば当然の変化ですし、医療の体系は医師がリーダーシップをとっていくことがもっともふさわしいものです。


明治時代に教育を受けていない旧産婆が近代産婆にとって代わられたように。


でも「正常なお産は助産婦が独立して介助できる(医師がいないところでも介助できる)」こと、そのための開業権を死守するための攻防戦、そして助産師の業務拡大を求める動きが現在まで続いています。
それについては助産師教育ニュースレターでも引用しました。
「お産は私たちに任せて欲しいと打って出る」「助産師の業務拡大と自律」
臨床で分娩介助している私にはほど遠い感覚の、そのような勇ましい言葉で話し合われているのが助産師の集団とも言えます。


「お産は終わってみないと正常かどうかわからない」
それが理解できる助産師は病院や診療所での勤務を選択し、「正常なお産は助産師で」という思いが強い人は開業へ、そして「お産は怖くてとても助産師だけではできないけれど開業権は守りたい」人は両者の間で揺れている。
その3者はなかなか交じり合うことがない。


そのような時代の変遷に伴う「構造上の欠陥」が続いているのが、助産師集団だといえるでしょう。


では「刺激の多い状況におかれると集団思考に陥りやすい」、それはどのような状況なのでしょうか。
次回に続きます。