産後ケアとは何か 9 <日本のここ一世紀の産後の過ごし方の変化>

「昔」というのはいつのことか。
私にとって20〜30年前はまだ「少し前の過去」なのですが、現在20〜30代の方にとっては「昔話」にもなることでしょう。


一世紀ぐらいの産後の過ごし方の変化を、もう一度まとめてみようと思います。
あまり参考になる文献が少ないので、自分なりにまとめてみた感じですが。



<有資格者による衛生知識の普及>


専門教育を受けた近代産婆が登場したのが1899(明治32)年ですが、ほとんどの出産に医療従事者が立ち会うようになるのが1960(昭和35)年代と、60年ほど時間が必要であったことは「無資格者による分娩介助の時代の終焉」に書きました。


この60年ほどの間は、妊娠中や産後の過ごし方も含めた衛生知識の普及活動も産婆や助産婦の大事な仕事でした。


長野県の近代産婆について研究された湯本敦子氏の論文をこちらで紹介しましたが、その地域に果たした役割を再掲します。

彼女たちは、各家庭での出産介助において衛生用品を使い、消毒を施し、会陰保護を行い、仰臥位分娩をさせ、食事や産後の手当てや療養の仕方を指導し、衛生的で近代的スタイルの出産方法を普及させた。

正座で出産させ一週間ほどは産婦を座らせたままで眠らせないようにする産椅(さんい)とヨトギという、「血のケガレ」に対する風習もそのひとつであることをこちらこちらで紹介しました。
地方によっては、1940(昭和10)年代まで残っていたようです。


その後、昭和の初めから終戦後にかけての産後の療養についての古い慣習を変えるための苦労については、こちらこちらで紹介しました。


「産後に栄養をつける」「産後にできるだけ1ヶ月はゆっくりと過ごす」という知識が日本の社会全体に認められるようになったのは、案外まだ日が浅く、ここ半世紀ほどのことなのかもしれません。



<産後の休養をとるための施設化>


ちょうどその1960年代というのは、自宅分娩から施設分娩へと大きく転換した時期でした。


「昔」のお産についての資料を読むと、自宅では家族関係や古い慣習によって産後の女性が休息をとることが難しいことも多々あったことが推測できます。


有床の助産所ができたのが1950年代終り頃ですが、同じ頃に母子健康センターでの助産部門が作られるようになり、また病院での分娩も増えていきました。


「出産の施設化」は、産後の女性を家族関係や古い習慣から解放してゆっくり休養をとれる時代へ変化させる機動力になったのではないでしょうか。


そんな視点で、もう少し当時の母子健康センターの資料を読みながら産後の休養について考えてみようと思います。
あ、ただ明日は少し別の話題になるかもしれません。





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