記録のあれこれ 1 <数は数えなくても記録は残せ>

アドバンス助産師の制度についてはいろいろと書いてきましたが、唯一、「自分の分娩介助経験を記録する」きっかけを作ったことは良かったのではないかと思います、



こちらの記事の「私にとっての『100例』の意味」にも書きましたが、助産師になって分娩介助経験数が100例になった頃、ふと、分娩記録を残していこうと思い立ち、今日まで全ての分娩介助を記録してきました。


いえ、「全て」とは言えないですね。
「何を『主導』したいのか」に書いたように、ある時期までは、吸引分娩や鉗子分娩あるいは緊急帝王切開になった分娩は記録に残していませんでした。
「自分が胎児娩出の直接介助をした」ことだけしか、自分の分娩経験として認めていなかったのですね。


私が分娩介助した記録を残していることに、いつも同僚の助産師に驚かれていました。
「え?みんなは残していないの?」とこちらが驚きました。


「私も記録を残している」という人には、今まで私自身は会っていないので、助産師の「分娩介助経験数」というのは案外といい加減な数字なのかもしれないと、思うようになりました。



ですから、アドバンス助産師の認定を受けたい助産師は分娩介助記録を残すようになったことで、ようやく「分娩介助経験数」が少しは正確に把握されるようになることでしょう。


それにしても、皆、どうやってあの申請に必要な「100例」の記録を探し出したのでしょうか?




<何を記録しているのか>



「助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー)活用ガイド」日本看護協会、2013年7月)の18ページに、「助産実践報告書:分娩介助」の記録用紙があります。
それを見ると、産婦の年齢、介助年月日、初経産、胎児人数、分娩所要時間、出血量、分娩形式を1行でまとめたもののようです。


これだけ簡素な内容でも、全く何も記録しないよりはましだと思います。


ただ、卒業したばかりの助産師さんたちには、是非、分娩経過をすべて記録することもおすすめします。


私は、基本的にその産婦さんの分娩の始まりから産後2時間まで、パルトグラムに記載された内容を自分の記録ノートにも残すようにしています。
その産婦さんや御家族の言動も含めて、できるだけ見たままを書くようにしています。
そしてその情景をもう一度思い返しながら、自分の記録ノートへと転記していきます。


そのあたりは、<どうしたら異常を学ぶことができるのか>で、こんなことを書きました。

観察したことをありのままに書く訓練と、分娩記録をきちんとかくことも大事だと思います。
自分の思い込みや期待(こんなお産にしたい、など)を極力排除した客観的な事実を経時記録として残すことは案外難しいものです。

また人間の記憶力は都合のよい部分を覚えていたり、事実とは異なる錯覚を記録していることがあることを認識することは大事ですね。
分娩経過中にヒヤリとしたことがあっても、無事に終わると分娩介助の楽しかった部分、うまくいった部分、あるいは感動の部分のほうが記憶に残りやすい場合もあります。
冷静に自分の分娩介助経過を振り返らなければ、そのヒヤリとした大事な学びの機会を生かせないままにしてしまいます。

数を数えるな。でも記録は残せ」
ふと思いついた言葉ですが、案外「助産師の世界」につかえるのではないかと思いました。


ということで、また新たなタイトル「記録のあれこれ」が不定期に入る予定です。





<おまけ>



<どうしたら異常を学ぶことができるのか>は2012年4月28日に書いたものですが、読み返して当時は私も無意識のうちに学びの機会なんて使っていたことにちょっと冷や汗。





「記録のあれこれ」まとめはこちら