助産師の世界と妄想 4  <分娩経験数の持つ意味のあれこれ>

前回の記事で分娩介助の経験数が大事であることを書きましたが、今日は少し矛盾するようですが、「数だけではないよ」という話です。


<「個人的体験」から「客観的な視点」への境界線>


自分自身を振り返って、あるいは新卒の助産師を受け入れてきた経験からのあくまでも感覚的な話ですが、おそらく新卒の最初の10例というのはなんとかお産の流れをつかんだ程度ではないかと思います。


自分の行動を振り返るだけで精一杯で、周囲のスタッフや医師がどれだけサポートしてくれていたかとか、産婦さんはどのような表情や言動をしていたかもあまり思い出せず、あるいは「あの時こうしていたほうが良かったのではないか」といった反省点さえ思いつかないことも多いことでしょう。


30例ぐらいになると弛緩出血などの異常や吸引分娩や緊急帝王切開になるケースも体験するでしょうし、「あの時こうすれば」という点も少しずつ自分で振り返ることができるようになることでしょう。


直接分娩介助を30例経験する段階では、当然、他のスタッフが介助したその施設の何百例もの分娩経過の記録を読むことになりますし、ベビー受けとして外回りの業務をしながら分娩を客観的に観察する経験がその裏にはかなり増えていることになります。


分娩介助経験数30から数十例あたりで、こうした全体から分娩経過を見渡せる客観的な視点が育つころではないかと感じています。


<「○○人取り上げました」の意味>


では、この客観的視点が育ち始める数十例とか100例を越えたあとは、分娩経験例数に応じてその助産師の能力が上がるのかというと、やはり「数ではない」と思います。


とりわけ「正常分娩」を対象としている助産所での、分娩介助経験数の意味はどうでしょうか。


「オールマイティになれない」で書いたように、開業助産師はあくまでも正常な分娩だけに対応し、そのぶん出産介助者としての救命救急の力量不足になります。


そして取扱分娩件数が月に数例程度、しかも経産婦さんのお産が多いのですから、さまざまな経過を知って客観的な視野を広げる経験は少なくなるのはしかたがないことです。


また、こちらの記事で紹介したように、周産期医療が格段に進んだ1980〜90年代以降とそれ以前では、「ひとり取り上げた」の意味も全く異なります。


1960〜70年代の十分な医療体制もない中で分娩介助を担ってこられた開業助産婦の先輩方には敬意を持っていますが、「○万人取り上げた」と言うことについては現在の経験量と比べても意味がないと思います。


<数を数えても意味はあまりない>


既卒助産師の能力を見る上で、分娩介助経験が数十例ぐらいあれば「一人で判断して分娩介助ができるレベル」であり、「ある程度異常に対応できるだろう」と判断できます。
何度も書きますが、「一人で」というのはあくまでも医師のいる施設でという意味です。分娩を助産師だけの施設で対応して大丈夫ということでは決してありません。


その後、なかなか分娩介助経験を増やす機会に恵まれなかったり、少しお産から離れたくなる助産師もいることでしょう。


でも少なくとも病院や診療所で周産期医療の変化を知り、働く機会があれば、客観的な視点は十分に学ぶことができるのではないかと思います。


客観的な視点、それは個人的体験談からの思い込みを防いでくれる何よりも大事な視点であり、「お産や新生児の経過にはこんな異常が起こるのか」と視野を広めていくこといえるでしょう。


「ほとんどのお産は正常に終わる」といった思い込みの正常分娩の1例よりは、他の助産師が介助した異常分娩の経過を知るほうが経験量としてはよほど大事ではないかと思います。


そしてそうした基礎的な分娩介助能力を身につけていないまま、あるいは異常をほとんど経験していなくても「助産師」を名乗り、妊娠・出産に関して開業までできてしまうシステムは、今の医療水準にはふさわしくないと思います。


そこに自分の信じたいことだけをやり続ける機会ができてしまっているのではないでしょうか。





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