観察する 12 <筋肉>

競泳選手の筋肉にほれぼれするのですが、筋肉美や肉体美とか「身体鍛錬の象徴」として賞賛しているというよりも、筋肉そのものに魅せられているという感じです。


たとえば、生まれた直後の新生児の臍帯を切断しようとしている時に、コッヘルという鉗子(かんし)を握りしめて離してくれない新生児の手の動きを見ると、その筋肉の強さに驚かされます。


また、こちらの記事に書いたように、新生児の授乳の様子を見ていると、一旦、舌で乳首を巻き込むと20分でも30分でも離さない強さに驚きます。
「吸い方が下手」なんて安易に新生児を馬鹿にしちゃあいけないよと思う程、その舌や口全体の筋肉の巧妙な動きと強さを、なんと表現したらよいのでしょうか。


私自身にも、こんなに強靭で柔軟な筋肉が備えられ、発達しながら成長して来たのかと、なんとも不思議な気分になります。
ああ、自分の体のことさえ、何もわかっていないのだと。


そして筋肉の曲がり角を迎え、意識して筋力を維持する必要性を感じる状況が増えたのですが、その努力よりも早いスピードで筋肉が老化に向かっていることを感じます。


たとえば、指先の力が弱くなって蓋を開けにくくなったり、足にあった靴を見つけにくくなるのもの筋肉の老化ですね。


朝目が覚めてベッドから起き上がることから、食事、排泄、出勤の支度と、全てが全身のあらゆる筋肉の巧妙な動きによって成り立っていることに、ますます「筋肉って何だ」という思いが強くなっています。


だからペンギンやマンボウの泳ぎも、飽きもせずに眺めるようになったのかもしれません。


ただ、衰えているだけでもないようです。
うまくその筋肉を使えば、無駄な抵抗もなくよりズムーズに泳げるようになる達成感もあります。
ちょっとした足の動かし方の違いや、腹筋の使い方ひとつで、フワッと体が浮いて泳ぎが軽く感じるのです。


そうそう、先日の辰巳国際プールへの道すがら、不思議な柄の服を来た70代ぐらいの女性が目の前を歩いていました。
赤と緑っぽい柄だったので最初はよくわからなかったのですが、上下お揃いの服の背中に、なんと骨格が描かれていたのでした。
そう、骸骨の。


もしかしたら、あの女性は筋肉ではなくて骨に対して私と同じような気持ちがあったのかもしれませんね。
でも、追い越してから、振り返ってみる勇気はちょっとありませんでしたが。


筋肉ってなんでしょうか。
最近の私は、かなり筋肉のことを意識して生きています。




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