父のように終の住処、そこで看取られる場所に落ち着けたことをみると、ちょっとうらやましく感じます。
私自身は、どのように死ぬのかまったく不確実だからです。
自力で生活ができているうちは介護施設には入れないでしょうし、高齢者になるにつれて生活をダウンサイズしながら、どこに着地点を見つけることになるのでしょう。
どれくらいの生活費がかかるのか、年金がどれくらいでどれだけ貯蓄があれば他の人に迷惑をかけなくてすむのか、そして、そのために住居もまた変更していく必要に迫られるかもしれない。
いろいろと考えて慎重に準備したつもりが、あっけなく他のことで死ぬかもしれない。
なんだかいろいろと考えても、確実な対応策がないのが死ぬための準備ということですね。
<現金支給以外の方法も必要ではないか>
先日、年金受給資格25年から10年に短縮へ 法律が成立というニュースがありました。
年金を受け取れない人を減らすため、年金の受給資格を得るのに必要な加入期間を25年から10年に短縮する措置は、消費税率の10%への引き上げに伴う社会保障の充実策でしたが、消費税が延期になったため先行して実施しようと、今の国会に法案が提出されていました。
年金を納め始めた頃、25年間年金を納めなければ受給資格がないというのは、気が遠くなる話でした。
たぶん、この気が遠くなる感じも未納の原因になっているのではないかと思うので、短縮されたのはよいかもしれないと感じました。
ただ、両親を見ていると、年金とだけでなく別の現物支給という方法があってもよいのではないかと思います。
父は50代で退職金を前借りして家を建てました。
もうこれで老後は家のことも心配しなくて済む、と両親ともに安心したのでしょう。
たしかにそれから20年ほどは、充実した老後の生活だったと思います。
ところが体力が衰えてくるころには、家も老朽化し修理費に結構な支出がかかるようになりました。
また、父の認知症発症とともに、ガスからオール電化に変えたりバリアフリーへの大規模な修理が増えました。
やれやれ、これで自宅でなんとかもう少し頑張ろうとしていた時に、母が半身麻痺になり自宅での生活が難しくなり、父も別のグループホームへと移り、大規模修繕した自宅には誰も住む人がいなくなりました。
「空き家と居住費」に書いたように、現在父と母はそれぞれの施設に「住居費」が必要になり、二人合わせると毎月十数万円が住居費にかかっていることになります。
施設で暮らしていても、母の場合はまだ身の回りの物を購入するのに現金も必要ですが、この居住費に年金が飛んで行ってしまい、貯金を食いつぶしていることに大きな不安があるようです。
そういう状況を見ていると、私は居住費の分は現物支給にしてもらって、お小遣い程度の年金をもらうというのがいいかもしれないと思うようになりました。
そして父の施設のように、介護から看護・医療までその施設内である程度対応できるような居住環境で、自力で生活できるまでは自力でなんとかし、そして終の住処となる。
ああ、でも世の中いろいろな気持ちがあるでしょうから、こういう施設での生活はまっぴら、自分の家で自由にしたいと思う人も多いのでしょうね。
たぶん、自立して生活できている年代だと、終の住処を現実問題として考えることは先送りしたいことでしょうから。
自分の生活の管理能力が衰えたその先は、どこで暮らすかには執着することもなくなって、きっと日だまりの暖かい部屋でうつらうつらしていたいだろうな、と自分の最期を想像しています。
「小金がまわる」まとめはこちら。