観察する 14 <「植物の持つ特性を変えない」>

子どもの頃は、手先が器用で絵が上手だった父に似て、絵を描くのが得意でした。
いつ頃からか、私の「才能」は凡才となり、絵を描くこともなくなりました。


ボタニカルアートの展示会を観に行った動機のひとつに、もしかしたら私にも描けるかもしれないという期待がありました。
ところが、会場に展示してあった絵はただ美しいだけではなく、全てに正確性が求められていることがなんとなくわかり、ああ、私には無理だなと凡才の夢はあえなく散りました。


絵の片隅に、たとえば葉っぱひとつにしても数値や構図が描かれている絵もあって、まるでなにか数学か物理の教科書のようです。


ボタニカルアート」って何だと、何も知らないことに改めて気づきました。


頼みの綱のWikipediaのまとめもないので、検索したサイトの順番でボタニカルアートとは何ぞやと探してみました。


どなたが書かれたものかわからないのですが、「ボタニカルアートとは?」にまず、わかりやすいまとめがありました。

ボタニカル(botanical)とは「植物学的」という意味です。
だからボタニカルアートとは「植物学的な絵画」のことです。
植物図鑑の絵(標本画)がそうです。



ボタニカルアートには4つの約束事があります。
1. 実物大に描く
2. 背景を描かない
3. 人工的な物(植木鉢、花瓶等)を描かない
4. そして、一番大切な約束事は植物の持つ特性を変えないことです。
たとえば、互い違いに出ている葉を同じところから出ているように描くと、全く違った植物になってしまいます。
以上の約束事をふまえて描いたのがボタニカルアート(植物画)です。

なるほど、リアリティに徹するという感じでしょうか。



実際に描くとなるとどんな感じなのだろうと興味がでたのですが、ボタニカルアートを教えていらっしゃる方の「絵も歌もブツブツ」というブログを見つけました。
「ありのままに描く」ことが具体的に書かれています。



たとえば「邪魔な、錯綜した、描きずらい、異常に繁茂した枝葉.....存在しなかったことにしていいか」ではこう書かれています。

今回のタイトルですが、つまりそこだけ描かないで済ませたいという場合、方法はあります。しかしそれが「初めから存在しなかった」ことにしてはなりません。少なくとも、そこに在るはずのものの痕跡は示さなければならないのです。

あるいは「写真上段のホオズキを、よ〜くご覧ください」では、正確に描いたように見える絵が実は正確ではないことを確認しています。そして人が陥りやすい認知バイアスが書かれています。

確認と同時に、次のことを肝に銘じてください。つまり周りに紛れがある場合、人間の目はてんで当てにならないものだということです。錯視・だまし絵・見間違いは、植物画の作品の中にはゴロゴロ転がっています。

ボタニカルアートというのは、科学的な絵であるということの意味が少しわかりました。





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