観察する 35 <分類する>

「子持ち熊」
この名前にピンと来た方は、なかなかのマニアかもしれません。


6月中旬に汐入公園へ行ったあと、堀切菖蒲園に立寄ってみました。
隅田川と荒川が最も近づいた場所にある二つの橋を渡ると、すぐのところにあります。
この季節になると必ず菖蒲の名所として耳にするので、ちょうど良い機会だと思い訪ねてみました。


向島百花園梅の種類の多さにも驚きましたし、先日行った神代植物公園の蓮とスイレンの種類もたくさんありましたが、ここの菖蒲もまた多くの種類がありました。
「子持ち熊」というのはその中にある菖蒲のひとつです。
しばらく見入っていましたが、どうしてそんな名前になったのか全く見当もつかないほど、花とは似つかない名前なので印象に残りました。



それぞれの種類に名前が付けられていて、花弁の色や形などがはっきりと違うものもあれば、私にはほとんど違いがわからないものもありました。
まあ、菖蒲もあやめもかきつばたも未だに区別できないくらい、菖蒲類にはうとい私です。


江戸時代かもっと昔の室町時代からか、ずっと人の手によって育てられ、交配して品種を増やしてきたのも、その違いが観察されて来たからだと思うと、なんとも気が遠くなる話です。


<記録し分類する>


通勤途中の道ばたの草花に目がいくようになって十数年ぐらいになりますが、何度も図鑑をみても名前さえまた忘れてしまうぐらいです。
ですから、その草花が「何科」であるとか細かい分類を読んでもほとんど頭に入ってきません。


それでも、植物についたひとつの名前には、とんでもなく長い時間をかけてその特徴が観察されて、初めて分類できるものであることを少し理解できるようになってきました。


今の時代なら、気になった植物をすぐに写真で撮って、あとで調べることも簡単にできますが、写真がない時代には、植物の特性を変えずに描くボタニカルアートが唯一、「事実を曲げずに記録する」手段だったのかもしれません。
そのものを写しているかのような写真でさえ写した人の意図や見る側の認知のゆがみに左右されるわけですから、分類以前に、何が事実であり何を記録するのかというあたりの試行錯誤が、最も難しい部分だったのではないかと勝手に想像しています。




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