観察する 16 <生活史>

「観察する」まとめで、「湿地帯中毒 身近な魚の自然史研究」(中島淳著、東海大学出版、2015年10月)の「はじめに」を紹介しましたが、その文の中で引きつけられた言葉が「生活史」でした。



そうか、生物学と言うのは「生活史」という言葉を使うのか、と。
そして具体的に「生活史」が以下のように説明されています。

「どのようにして現在の分布域を獲得したのか」「いつどこでどのように生活しているのか」「それらはどのような姿形をしているのか」・・・そういった情報を科学的な手法を用いて網羅的・枚挙的に記載していく作業となる。

この「生活史」と言う言葉はWikipediaによれば二通りに使われているようです。

生物学において生活史(生物)は、個々の生物の生涯にわたる生活の有様を指す。
社会学では、個人の生活の様相を記述したものを生活史(社会学)と呼んで研究資料とする。

人間の場合にも他の生物と同様に、生物学的な生活史(どのように生まれ、どのように育ち、どのように繁殖し、どのように死んで行くか)がその基本にあるけれど、さらに時代や環境の変化などが複雑で、社会学的な意味での生活史の全容を把握するのは至難の技といえるかもしれません。



まして、「個人の生活の様相を記述するため」の社会学そのものが、客観性よりは「こうなって欲しい」と言う願望や理想に引きずられたときに、なかなか人間の生活史というのは明らかにされにくいのだろうと思います。


看護あるいはケアという分野は、医学とともにこういう人間の生活史が両輪になって発展していくのかもしれない。
あるいは、生活史がきちんと観察・研究されなければ、看護やケアは自己満足のやりがいだけの仕事に成り果てる可能性もあるのだろう。


そんなことをこの「はじめに」の文章から感じたのでした。



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