新しいタイトルを思いつきました。
9年前にブログを始めた頃から「生活」と言う言葉は気になっていたのですが、しだいに「こんなことを書いてみたい」と思っていたのだと言うことがおぼろげながら見えてきました。
「生活」と言う言葉はそれこそ日常生活で当たり前のように使っているけれど、そもそも「生活」とは何か、沼へ落ち込むようにわからない言葉になってきました。
「生活という言葉がわからないこと」が見えてきた感じです。
ブログを始めて10ヶ月ほど過ぎた頃、「看護の本質」というタグをつくってみますという大胆な記事を書きました。
その後、ブログのタグを整理したのでなくしましたが、いやはや、あの頃は自分の経験を言語化することにちょっと気負っていました。
そのうちにケアとは何か、看護とは何か、看護とは「基本的欲求に対する援助」という学生時代に最初に学んだことに戻ってきました。
そして看護の仕事は「日常生活を整える」あたりかな、と。
ただ「〇〇を整える」という表現は、ちょっと違う方向へ行きそうなので要注意ですけれど。
そのうち、動物園や水族園、あるいは植物園に行くようになり、生活史という言葉を知りました。
その生物の生活史はただひたすら観察するという原始的な方法で観察され、そしてそのものの持つ特性を変えずに記録されていることがつながりました。
ヒトの看護は、このヒトの生活史という視点がないままだから、思いつきや個人的な体験談が跋扈するのだと思いました。
そして看護だけでなく、経済もまたヒトの生活史を基本にしていないから、思いつきや信念が繰り返されるのかもしれない。
そして、一人一人が試行錯誤しながら「生活」を築き上げているのに、その実態を知らないから政治も迷走するのかもしれない。
では、生活とは何だろう。
またそこにぐるぐると戻って、深淵の中へと引きずり込まれそうになります。
でもそれが、社会の現象を知るときに、さまざまな葛藤の原因にもなっているのだと漠然と思うようになりました。
「生活」とは何か、たぶんまた不定期に描きそうなテーマです。
「生活のあれこれ」のまとめをこちらに作ります。
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