運動のあれこれ 9 <「正確に知ることこそ、共存の一歩」>

ここ1〜2年の間に、ずいぶん、生物を研究されている方々の本を読む機会がありました。
カマツカマンボウ虫こぶあるいは水草の研究などです。


それぞれの生物の知識が増えることも本の醍醐味ですが、これらの本はどのようにその生物を調べるのか、研究者の方々の生活史が垣間見えるところが共通点だと言えるかもしれません。


対象の生物に出会うまで泥水の中を這いつくばって探したり、出会った生物の体重(重さ)や身長(長さ)をただただ計測したり、本当に地道な作業の繰り返しであることが書かれています。
たとえ、どんなに自分の中に答え(仮説とか理想とか)があっても、簡単にはその答えにはたどりつかない。
その作業が本当に社会に役立つのか、といった葛藤もあることでしょう。
そして「いつまでこの研究を続けられるのか」とか、それで「食べていけるのか」という経済的な不安も。


なぜ、こうした研究者の方々の本に惹かれて読んでいるのか、少しずつ私自身の謎が見えてきました。
おそらく、20代の頃から私が惹きつけられていた市民運動的なものと対極の何かがあるからではないか、と思うようになりました。


<「高速道路に5000羽!サギ大集合」>


先日のNHKの「ダーウィンが来た」は、名古屋のインターチェンジにサギが5000羽も集まっている場所があるという話でした。
田んぼや川にサギが佇んでいる姿は、「自然が甦った」というイメージとともにホッとするものですが、5000羽となると人間には邪魔な存在になって、カワウのようになってしまうのではないかと気になり、録画しておきました。


番組では、サギは5種類いること、それぞれのサギがどのように餌を得ているか、どのように繁殖しているか、そして高速道路での車との事故をどう防ぐかなど、サギの生活史が調べられていることを伝えていました。
ゴイサギダイサギの子どもは、親から自立すると種を越えて一緒に餌を食べ集団で成長しながら、9月頃になると全国へと飛び立っていくそうですが、そうしたサギの種類や数、そして生活史を観察し続けているのが、日本野鳥の会の方々だそうです。


番組の中で語られた「正確に知ることこそ、共存の一歩」というひと言から、1934(昭和9)年に創立され「野鳥に関する科学的な知識及びその適正な保護思想を普及する」活動が続いて来た理由なのかもしれないと、印象に残りました。


<1980年代の「市民運動」のイメージ>


さて、私が市民運動という言葉に出会ったのは1980年代初頭でした。
Wikipediaにも書かれていますが、それまではむしろ地縁によるつながりがより重視される住民運動のほうが使われていたと記憶しています。


「住民」が「市民」に置き換わっただけですが、個人の主体的な活動というイメージになり、そしてまだまだごく一部の人しか関心を持っていない、何か特別の世界への入り口のように感じさせたのでした。
20代前半の私の様子は、こちらの記事にこう書きました。

世界の状況どころか、自分の専門の医療に関しても、今思えば冷や汗が出る程未熟な知識と経験で立ち向かって行こうとしていました。
「自分たちがやらなければ誰がやるのか」という責任感と、自分たちは開拓者であるかのような自覚で、何か「社会を変えなければいけない」と思っていたのでした。


現実社会の中の病院での仕事は、どちらかというと理想的な社会を実現するために、市民運動を続けるための生活費を得る手段と感じていました。
ところが、「ニセ科学的なものについてのあれこれ」に書いたように、市民運動的な場所に半身を置き、医療現場という現実の職場にも半身を置くことで、何か中途半端な気持ちになるようになりました。


そうこうしているうちに、2000年代頃になると私の仕事の周辺ではイメージだけで言葉が広がることが増えました。
2〜3年もすると熱は冷めて、また別の言葉や方法論が脚光を浴び、そしてまた忘れ去られていく。
現実の問題はもっと別のところにあるのに、という歯痒さを何度も感じるうちに、足りないのはただひたすら観察するという態度ではないかと感じるようになりました。


市民運動的なことがダメなのではなく、観察し続け正確な知識に基づいた考えがなければ、間違った方向や思想へと社会を動かしてしまうことになる。


世の中には、冒頭のようなたくさんの地道な研究をされている方々や、野鳥の会を初めとして、正確に事象を観察することを続けている人たちがいるからこそ、なんとか誤った方向へといかずに済んでいるのではないか。
そんなことを考えています。



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