客観的のあれこれ 7 見ている風景が違う

新型コロナウイルスの感染拡大で多くの施設が休館を余儀無くされていた時期に、公園や動物園・水族園などのつぶやきのおかげで、さまざまな生物の生活史を知る機会になりました。

通常営業になると、そういうつぶやきが少なくなってしまうことが残念と思っていたのですが、まだまだこうした試みはあるようです。

 

6月30日の上野動物園ニホンザルの動画は、興味深いものでした。

ニホンザルの生活史ももちろんですが、それを知った時のヒトの反応に感じたことが今日のタイトルです。

 

ニホンザルの子どもたちが、母親から離れて子ども同士で遊ぶようになりました。

ただし、ちょっと不安定になるとすぐに母親たちが。 

 

木をロープで結んだ橋は少し動くとひっくり返りそうになる不安定なもので、落ちれば下は池になっています。

2匹の小さな猿が、落ちそうになりながら渡っていく様子が映っていました。

 

「ヒトで言えば、3〜4歳ぐらいの幼児かな」と、私はその発達の段階が気になりながら観ていました。ヒトなら毎日のように見ている新生児が、どうやったらあの橋を渡るという行動ができるまでになるのだろう、そしてさまざまな動物の行動と筋肉の違いは何だろう、と。

 

 

*事実を観察する*

 

あっという間にそのtweetにコメントがついていました。「かわいい!」というものが多いのですが、「母の愛」「手を出さないで見守る」「母性」といったコメントも多く、「母親や親としての自分」を重ねたコメントが多いのに、ちょっと驚きました。

「母親から離れて」「すぐに母親が」というつぶやきですから、さもありなんですが。

 

上野動物園tweetをもう一度みると、「#生後2ヶ月でこのジャンプ」「#抱きとられたほうは生後1ヶ月半」「#月齢による運動能力」「#でもどっちも落ちない」というタグがついていました。

 

コメントの中で、子猿の発達について書かれたものは「子どもたちの運動能力、思った以上にすごい」という1件でした。

 

楽しく見ればそれで構わない話なので正解もないのですが、子猿の発達に焦点を合わせるか、それとも母親側に合わせるかで見えてくる風景がだいぶ違うのはヒトの世界も同じだなあと感じたのでした。

 

ヒトの場合、新生児をどのように観察し、その生活史のために何を記録するのかという視点がなかなかないので、大人がどうしたいかという気持ちで「育て方」が変化しているように感じていたのですが、このコメント欄を読んで当たらずとも遠からじかもしれないと感じたのでした。

 

 

 

「客観的のあれこれ」まとめはこちら