記憶についてのあれこれ 106 <ゆかり>

今日のタイトルを見て、「縁もゆかりも・・・」よりは白いご飯を思い出した方はナカーマですね。


体調が悪い時も、食欲がない時も、ご飯に少しかけるだけで美味しく食べられるのは不思議です。


小さい頃から食べていたような気がしたのですが、三島食品のホームページを見ると、開発を始めたのが1970年とありますから、食卓に登るようになったのは小学校高学年か中学生になる頃だったのでしょうか。

1970年当時、梅干しの色付けのための赤しそに注目し、これを使ったふりかけが出来ないものかと開発を重ね、わが社固有の味で調味・乾燥して製品化しました。最初は業務用として大袋に詰めて販売を開始し、次第に市販用としても展開していきました。

ずっと昔、祖父母とかの時代から梅干しの赤紫蘇を乾燥させて食べていて、それが両親の世代(現在80〜90代)ぐらいで製品化されて広がったものかと思っていました。



名前の由来の「ゆかり®三島食品登録商標」に以下のようなことが書かれていて、登録商標ってややこしいし、この意味は何だろうと気になりました。

なお、商品名の「ゆかり」は1960(昭和35)年12月10日特許庁において商標として登録されました。
従来、株式会社中の(*)酢店様のご厚意により商標を使用させていただいておりましたが、1999年株式会社ミツカングループ本社様より譲り受け同年9月に名実ともに当社の商標として登録されました。

寄り道にそれますが、ミツカンの旧社名(*変換できなかったのですが)が読めなかったのですが、「なかの」と読むのですね。初めて知りました。



<ゆかり®の歴史>


1960年には商標登録されていた「ゆかり」なのに、1970年に初めて開発されたというのはどういう意味だろうと気になって検索したら、「ニッポン・ロングセラー考」というサイトに「色と風味にこだわり続けて40年 定番になった赤しそふりかけ」という記事がありました。



「瀬戸風味」「かつおみりん」はそれこそ小さい頃からよく食べたふりかけでしたが、「ゆかり」の方が後につくられていたのですね。

当時のふりかけ原料の大半は、魚粉末や海苔などの海産物。赤しそ原料の「ゆかり」はめずらしい存在だったに違いない。いったいどんな発想から誕生したのだろう?
「こちらでは赤しそを細かく刻んだ漬物がよく売れています。うちでも作れませんか?ー60年代後半、名古屋の営業所から三島食品の本社に宛てて、毎日のようにこんな営業日報が上がって来た。

日報を書いていたのは、販売に熱心な一人の営業マン。三島食品はふりかけ一筋にやってきた会社だから、漬物の商売を始める可能性は低い。それでも彼はあきらめず、赤しその漬物を要望する声を本社に送り続けた。初めの頃は「うちは漬物屋じゃない」と聞く耳をもたなかった三島も、あまりのしつこさに根負けし「漬物は駄目だが乾かして売るのならいいだろう」と、新商品の開発にゴーサインを出す。ここから赤しそふりかけの研究が始まった。

梅干しを作る時の色づけのための赤しそを、きっとどこかの地域で乾燥して保存して食べていたのが「ゆかり」の由来だと思い込んでいたのですが、全く違いました。
この営業マンの方が声をあげ続けなかったら、「ゆかり」は誕生していなかったのですね。


そして現在のように鮮やかな赤紫色のふりかけにするまで、そして販路を伸ばすまでも大変だったようです。


さて、販売当時は売れ行きが芳しくなかった「ゆかり」だが、その後は以外なところから大きく販売量を伸ばしていくことになる。道を開いたのは、学校給食への採用だった。
小学生の頃、給食のメニューに一食タイプの袋入り「ゆかり」が付いていたり、「ゆかり」を混ぜ込んだ御飯が出た記憶を持つ読者も多いのではないだろうか。子供にとっては、白班よりも味や香りがついた御飯の方が食べやすい。ゆかり御飯は今も各地の給食メニューとして好評を得ていると言う。
「ゆかり」は事業所や病院など、学校以外の施設にも販路を拡大していった。

私が学校給食を食べていた1970年代前半まではまだ米飯の日が少ない時代だったので、ゆかりが広がったのは1980年代とか90年代の学校給食なのでしょうか。


私は小さい頃からずっとゆかりを食べていたような気がしていたのですが、母はいつ頃、何かきっかけでゆかりを購入し始めたのでしょうか。
今度あったら聞いてみなければ。


ほとんど切らすこと無く買い続けていた「ゆかり」ですが、日本の昔からの商品だと思っていたので驚きました。



ホント、記憶って頼りないですね。





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