米のあれこれ 6 <ゆかりと梅干し>

なぜ唐突にも「ゆかり」の話を書いたかというと、「ゆかり」のパッケージを見て、そういえば同じお米を食べる民族なのに味覚はだいぶ違うのではないかとふと思い出したことがありました。



梅干しやゆかりのような紫蘇風味を苦手な人はもちろん日本にもいらっしゃると思いますが、多くの人は白い御飯とこれらの組み合わせを好むのではないかと思います。


最近の私は、梅干しは塩分の取り過ぎになりそうなので縁遠くなりましたが、ゆかりがあればおかずがなくても大丈夫なくらい好きです。


以前、東南アジアを行き来していた時に、友人たちに梅干しをお土産に持って行ったことがあります。
東南アジアの各地で原料や作り方は異なっても、日本人が好きになりそうな小魚などの塩辛がありますし、米飯や芋類と一緒に食べると食欲が進みます。


きっと梅干しも、国境を越えて受け入れられるに違いないと思ったのでした。



ところが、一口食べたその酸っぱさとしょっぱさによる表情を見て、あ、これは受け入れられないと悟ったのでした。
「一気に食べずに少しずつ御飯に混ぜると、食欲が無い時とかおいしいけれど」と説明したのですが、新しい味や食品には保守的な人たちだとわかっていたので、おみやげの残りは結局私がたべることになりました。


梅干しを見るだびに、もしかしたら「ゆかり」だったら受け入れられたかもしれないと、選択を間違った可能性を悔やんでいます。


ただ、もしかするとお米の種類が、「ゆかり」や梅干しとの相性に関係があるかもしれません。


私が住んでいたその地域にも、タイのトムヤムクンに似た酸味の効いたスープを御飯に混ぜて食べていましたし、相当しょっぱい小魚の塩辛も御飯のお伴でしたから、その両方を合わせると梅干しに近いような気もするのですが、微妙にあのパサパサした御飯とは合わないのかもしれません。



まだ今ほど日本の寿司が世界に広がっていなかった1990年代に、その東南アジアから日本に来た友人が、うるち米を美味しいと食べ、酸っぱい鮨飯を美味しいと感じたようなので、日本で日本のお米となら梅干しと「ゆかり」も美味しく感じたのかもしれません。


今度、インディカ米を炊いてゆかり御飯を試してみましょうか。
まあ、その土地の食事の美味しさはその土地の空気と一緒に食べないとわからないところってありますけれど。


ただ、案外、世界中のお米を食べる文化のある地域なら「ゆかり」も受け入れられるかもしれませんね。




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