記憶についてのあれこれ 107 <旅にかかる時間>

清澄庭園の「松島」や「富士山」のように、小石川後楽園も園内に「木曽川」「白糸の滝」といった地名や名勝の名がつけられた構成になっていました。


こういう庭園の様式についてはよく知らないのですが、庭園内でちょっとした旅をした気分になれそうです。
昔は、都内から富士山まで実際に行くのも大変だったのだろうなと考えていたら、私が幼稚園の頃の記憶が甦って来たのでした。



都内から東海道本線山陽本線を乗り継いで、関西にあった祖父母の家まで行った記憶があります。
新幹線が開通する前の1960年代の列車について検索してみたのですが、1962(昭和37)年に新設した特急「つばめ」を利用すると、東京・広島間が8時間半だったようです。



ただ、私のうっすらとした記憶では、たしか普通列車と夜行列車を乗り継いで関西まで行った記憶です。
丸一日がかりだったような気がするのですが、記憶はあやふやです。
まあ、たとえ8時間ぐらいでも、現代の列車のような快適性がない列車だったでしょうから、幼児を連れての長旅は相当大変だったことと思います。


その後は、高速道路を使って関西まで行くことがほとんどで、大阪万博に行くために初めて「夢の超特急」に乗ったぐらいで、しばらくは関西方面への列車に乗る機会はありませんでした。


一昼夜かけて祖父母の家に行った数年後には、大阪まで数時間で行けるようになったのですから、本当に夢のような時代の幕開けでした。
車内の快適さも、それまでの東海道山陽本線の列車とは比較にならないものでした。


さらに万博から数年後、中学生の頃に「ひかり」に乗って一人で祖父母の家に行った記憶があります。万博の頃に大阪までかかっていた時間と同じぐらいで、更に先まで行けるようになってびっくりです。
ほんと、10年ひとむかしですね。
祖父母が住んでいた地域へ、日帰りも楽々できるようになりました。まあ、日帰りだとちょっと疲れますが。


さて、先日の「清澄庭園」まで、私の自宅から徒歩ではどれくらいかかるか検索してみたところ、4時間ほどかかるようです。
そこから浅草見物をして、また自宅まで歩いて帰るとなると、日帰りは体力的に無理そうですね。



「旅をする」とか「移動する」ことがこんなに簡単な世の中になったのも、ここ半世紀にすぎないと、また自分の人生の記憶と重ね合わせています。




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