2018年に久しぶりに倉敷を訪ねるために岡山へ行きました。
それまでの私の頭の中の路線図は、倉敷までの山陽本線と四国へつながる宇野線があったぐらいの漠然としたものでしたが、準備のために岡山の地図を眺めていると、岡山駅を中心に放射線状にあちこちへと路線があり、さらに山陽と山陰を結ぶ陰陽連絡線があることを知りました。
岡山駅に立つと、色が違う列車が次々と入ってきて、各方面へとたくさんの人を乗せて出発して行きます。
いつか全線に乗ってみたいと思ったのですが、3年ほどでほぼ達成しつつあります。今回は子どもの頃から耳にしていた赤穂線に乗ろうと思いました。
*赤穂線の歴史*
Wikipediaの播州赤穂駅の歴史に、「1951年(昭和26年)12月12日ー日本国有鉄道の駅として開業。当初は当駅が赤穂線の終着駅だった」と書かれているのを読み、赤穂線は古くからある鉄道だと勝手に思い込んでいたので少し驚きました。
東岡山駅まで全通したのが1962年(昭和37年)とあり、私の人生とほぼ同じのようです。
赤穂線の「歴史」を読むと、計画は戦前からあったようです。
山陽本線は山陽道に沿って建設されたことから、船坂峠(上郡駅ー三石駅間)という難所を抱えることとなった。赤穂線は、山陽本線の輸送力を補う代替・バイパス線として計画・建設された路線であり、戦前の新幹線計画である弾丸列車計画では、赤穂線に並行して同幹線を建設する予定であったといわれる。
もし戦争が起きていなければ、新幹線は10年、15年早く実現していたかもしれないのであれば、赤穂線の歴史もまた変わっていたのでしょうか。
赤穂線の建設予算は、1936年(昭和11年)の帝国議会で承認され、1938年には那波駅(現・相生駅)から赤穂方面に向かって建設が開始された。その後、太平洋戦争の激化に伴い、工事は中断された。戦後、再着工され、1951年12月12日に相生駅ー播州赤穂駅間が開業した。赤穂線と赤穂鉄道の並走区間は坂越駅ー播州赤穂駅間だけであったが、千種川に沿って有年駅に出る赤穂鉄道では姫路・神戸・大阪方面へは遠回りとなることから、前日の12月11日で前線を廃止した。その後も工事は西に向かって続けられ、1956年には日生駅へ、1958年には伊部駅へと延伸、1962年には東岡山駅までの全線が開業した。
なんとあの美しい千種川に沿って、赤穂鉄道が通っていたのですね。
そういえばこちらの記事に「120年ほど前の岡山は、山側と海側にほぼ同じ頃に鉄道が通ったようです」と書きましたが、それは津山線と姫新線の山側の路線に比べて海側の山陽本線という意味で、本当に海側の赤穂線ができたのはそのさらに半世紀あとなのだとわかりました。
ところで、幼児の頃に、普通列車で東海道本線と山陽本線を乗り継いで、岡山の祖父母の家に行ったことを思い出して山陽本線についてWikipediaを読み返していたら、大きな勘違いに気づきました。
「山陽本線は、神戸市中央区の神戸駅から福岡県北九州市門司区の門司駅まで」と書いてあります。
ずっと大阪からが山陽本線だと思っていました。
鉄道の歴史も、正確に知るのはほんとうに大変ですね。
「行間を読む」まとめはこちら。