記憶についてのあれこれ 109 <山羊と少年>

1990年代初頭に、私が居候させてもらった東南アジアの家に、小学校3年生ぐらいの少年がいました。
その家では現金収入もあり、貧困層が8割と言われたその国の中でも経済的には恵まれていたほうだったのだと思います。小学校だけでなく、高校(日本の中学校にあたる学年)までの学費もなんとかなりそうでした。


その少年のお母さんは、「全く遊んでばかりで、家のことは何もしない」と小言ばかりでしたが、私から見た少年はなんと責任感が強くて大人っぽいのだろうと感じました。


母親がいつも怒っていた「家のこと」というのは、山羊の世話です。


その家では敷地内にニワトリとアヒル、そして山羊がいました。
ニワトリとアヒルは、人間の食事が終わった後に食器を洗ったあとの水に入っている米粒や残飯(ほとんどでないですが)をぱーっと庭にまくぐらいで、あとは勝手に育っているように見えました。


庭の端に山羊が一匹、少し長めの綱がつけられていて、半径数mぐらいは自由に動けるようにされていました。
その山羊を、朝晩の2回だったと思うのですが、草のある空き地に連れて行くことが少年の仕事でした。


そう、「仕事」です。
山羊はペットではなく、いつか現金になる家畜でしたから。


お母さんに怒られながら、「え〜。もっと遊びたいのに」としぶしぶ出かける姿は、日本の少年少女と同じです。
でも、小学校3年生で大事な家畜の世話をしていることの1点で、私はその少年がとても大人っぽく見えたのでした。
最初はかわいくてしかたがなかったのに、だんだんとほったらかしにした私の犬に対する姿勢と比べて、とても恥じ入りました。


そんなことを思い出しながら、山羊ってどうやって飼うのか全く知らないなと検索してみました。
「全国山羊ネットワーク」という団体のHPに、「山羊の飼い方」が書かれていました。

他の家畜や動物も同じですが、飼い方の基本はその習性や行動を知ることです。山羊の正常な行動と異常(怪我や病気も含む)の違いを経験し、山羊が何を要求しているのかを把握するには日常の観察が重要です

山羊を見る際、まず、餌を食べるか、糞便の性状はどうか、飲み水は供給されているかの三点を観察の基本にして、餌を与える場合にも単に所要量を与えるのではなくて実際に食べているかどうか、他の個体との競合で食べられないことがないかを給餌後しばらくの間観察する必要があります


たまに、少年が山羊を連れて歩く後をついていったことがありますが、山羊によいという木の葉を食べさせていました。
ただ食べさせていたのではなく、その山羊に適切な種類や量なども観察することを経験していたのでしょうね。


私自身が小学校3年生の頃を思い返すと、そこまで家事や家の現金収入に責任を持つほどのことをしたこともなく、ただただ遊びと勉強の毎日でした。


「子ども」といっても、世界中の子どもが同じように成長発達しているわけではないし、大人との関係によって大きな違いが出てくるのだろうと思います。




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