散歩をする 9 <水元公園>

今日のお題の公園名をご存知なら、近隣の方か公園マニアの方かもしれませんね。
私は最近、公園に興味が出て初めてこの名前を知りました。


東京都公園協会「公園へ行こう」というサイトで検索していて、という字が付いていることにまず魅かれました。
きっと、水辺でのんびりできる公園に違いないと。


地図で見ると、かなりの面積があります。
端から端まで歩くだけでも、2時間ぐらいはかかりそうな広さです。
写真には大きな池とメタセコイアの紅葉が映っていて、まるでカナダか北欧の風景です。


都内も自分の生活と通勤範囲は案外と狭く、知らない場所ばかりです。
これは是非行ってみたいと思い、晴れた日に行くことにしました。


<柴又から歩く>


「柴又」といえばフーテンの寅さんとか矢切の渡しが有名ですが、まだ一度も訪れたことがない街でした。
なぜ、この駅をスタートに選んだかというと、地図を見ていて金町浄水場が目に入ったからでした。


江戸川から取水して上水道として都内へ供給しているこの浄水場の傍を川沿いに歩き、40分ほどで水元公園に到着しました。


快晴でしたが少し風があったことと平日ということもあって、公園に入ってからしばらくは、歩いているのは私だけでした。
おそらく、たとえれば「東京ドームぐらいの面積に私一人」という感じ。


しばらく歩くとオニバスの池があるのですが、季節は真冬。一面の枯れ草と、その日は表面に薄氷が張っていました。
メタセコイアの森も、すっかり葉が落ちて樹形を残すだけです。
春から秋は素晴らしい風景だろうなと残念でしたが、ずっと続く水辺を歩くのは楽しいものです。


水元公園を初めて見つけた時には、川のほとりに作られたのだろうと思っていました。
何度も地図を見直しているうちに、池のようです。


Wikipedia水元公園には「小合溜という準用河川を中心とした都内最大の水郷公園」とあり、こんな歴史が書かれています。

この地域はもともとは古利根川の河川敷であった。徳川家光の江戸川改修事業により古利根川は廃止されたため、小合村(1889年水元村に合併、1932年に葛飾区に合併)が江戸幕府の許可を得て埋め立てて耕作地として、水を蓄えて小合溜と称して管理してきた。


1940、紀元2600年事業のひとつとして水元緑地が計画された。1942年までに168haが買収されたが、太平洋戦争により整備が中断。戦後は自作農創設特別措置法によって150haを耕作者に解放した。


1957年、都市計画改訂により水元公園として再発足(建設省告示1689号)し、1959年に用地買収を開始、1964年までに8haを取得、整備の上、1965年4月1日に開園した。


徳川家光の江戸川改修事業により古利根川は廃止」ってさらっと書いてあるけれど、すごい規模の人海戦術で川の流れを変えたのでしょうね。
そして戦前の緑地計画から戦後の農地への転換、最終的に公園への歴史も興味深く、ブラタモリ案件だと思いますね。


さて、このお散歩ですが、残念なことに道半ばで挫折しました。
ちょうど水元公園の半分あたりまで歩いたところで、寒さと足の疲れでリタイアです。
まだ歩けそうでしたが、金町駅まで歩く余力を考えて公園を後にしました。
それくらい広い公園です。


少し風があって、しかも池に氷が張るぐらいですから、やはり春になるまで待てば良かったかなとちょっと反省。
でも真っ青な空が江戸川やこの水元公園の小合溜に映った水の色は、真冬ならではの美しさでした。




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