境界線のあれこれ 75 <生活の場と療養の場>

年をとって死を迎える段階に入ると、自宅か在宅か施設かという言葉ではなく、「生活の場」か「療養の場か」のほうが現実的なのかもしれません。


そしてその「生活の場」と「療養の場」の境は曖昧であり、日によっても比重が変わるという感じでしょうか。


父は「施設」が生活の場であり、体調が良い時には介護というケアが中心になりますが、体調を壊すと医療と看護ケアへと比重が変わります。
そしてまた、体調が戻ると終の住処としてのケアが中心になります。


それは同じ病棟内で、「生活の場」と「療養の場」の境界線が変化して行く感じです。


医師・薬剤師、歯科医師、栄養士、看護師、介護スタッフ、リハビリスタッフ、話し相手になるボランティアスタッフ、そしてケアマネージャーやソーシャルワーカーなど、たくさんの職種の方々が働いています。


父にとってはこの病棟が「生活の場」であり、ここから一歩でも出る時には不安と緊張が強くなる様子を見て、他の専門病院への受診はせず、この病院(父の生活の場)で対応できる範囲の医療(療養の場)で対応することにしました。





母は、今のところ療養よりは生活の場に比重がありますから、ケアマネージャーさんと介護スタッフの方々のケアが主です。時に、かかりつけの内科クリニックに受診する程度です。


でも近い将来、母が不調を訴えて倒れたら、おそらく救急車が呼ばれて急性期病院への搬送になることでしょう。



その後は現在の「生活の場」よりもより「療養の場」の比重が高くなることは容易に予想できるのですが、それはどこなのだろう。
そして、その住まいの変化を母が受け止めるのだろうか。



悩みは尽きません。
きっと「自宅か、あるいは在宅か施設か」という境界線では答えは見えてきにくいのではないかと思います。
生活と療養の両方があり、住まいを変えなくて済む場というあたりでイメージしていったほうが、現実的な答えが見えてくるのではないかと思うのですが。


ただ、本当に一人一人の状況がみな違うので難しいですね。


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