記憶についてのあれこれ 112 <地下鉄のある風景>

私の地下鉄についての最初の記憶があります。
もちろん正確かどうかはわからないのですが、丸ノ内線の赤に白い波模様の車体の記憶があります。
おそらく1960年代前半頃に、池袋駅から乗ったのだろうと思います。


その後、しばらく父親の転勤にともなって地下鉄とは縁がない生活になりましたが、1970年代終わり頃から今日に至るまでしょっちゅう地下鉄を利用しています。


最近は、私鉄も開かずの間の踏切をなくすために線路の地下化を進めているので、それも含めれば、電車で地下を通過していることが日常的になりました。
特に、1979年に半蔵門線が開業してからは、赤坂見附駅永田町駅)で乗り換えて、銀座線や丸ノ内線を使うことも増えました。


古くからあるこの銀座線や丸ノ内線は、渋谷駅や四谷駅、あるいは後楽園あたりで地上にふと出るときのあの解放感と明るさがなんとも好きでした。
当時は、なぜそんな作りになっているのか考えたこともなかったのですが、10年ぐらい前にたしかタモリさんの番組で都内の高低差の話をしていて、「ああ!」と初めて認識したのでした。
それぐらい、山の多い地域から都内に戻って生活をしていた私にとっては、関東平野は平坦という思いこみが強かったのだと思っています。


最近は、大江戸線副都心線など地下5階という深いところに駅がある線も多く、さまざまな路線が交差したりするためにどんどんと深いところへ作られています。
たまに先頭車両の窓から、進行方向の線路をながめているのですが、けっこうアップダウンがあることがわかります。
地下鉄の路線図はけっこう頭に入っているのですが、立体的にどのようになっているのかというと皆目見当がつきませんでした。


先日、また面白い本を見つけました。
「水系と3Dイラストでたどる東京地形散歩」の著者でした。

「地図と愉しむ東京歴史散歩 地下の秘密編
竹内正浩著、2016年、中公新書


リンク先にあるように、各地下鉄の高低差がひと目でわかるような図があります。
ああ、なるほどと、初めて各地下鉄と駅の高さや深さとの関係がわかりました。



永田町のエスカレーターがなぜあれだけ長いのかも、丸ノ内線有楽町線の下に作られたからだけではなく、この図でみるとあの赤坂見附付近は標高が低く、周囲とは10m以上の差がある谷間のようです。


地下という見えない部分に、わずか半世紀ほどでこれだけの路線を作り上げたことに、改めて感動してしまいました。
すごい技術ですね。


渋谷の再開発とともに、銀座線の渋谷駅も地下に入るらしいので、それまでにこの風景を目に焼き付けておかなければと思いました。





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