行間を読む 181 鶴見川から多摩川、そして利根川を結ぶ路線へ

年の瀬も押し詰まった昨年末のお昼頃、久しぶりに東急田園都市線に乗りました。

 

東急田園都市線は、ずいぶん前に市ヶ尾か藤が丘のあたりまでは乗った記憶があるくらいです。

渋谷駅から地下鉄区間をすぎると見晴らしの良い高架線になって冬景色の多摩川を渡りましたが、これもまた国分寺崖線の高低差からくるものだろうと最近になってつながりました。

 

それに比べると多摩川の右岸側は低い丘陵があちこちにある感じで、風景がまた異なりますね。平地を通過していたような記憶があるのですが、鷺沼駅の手前からは切り通しだったり、たまプラーザ周辺ではすごい斜面に家やマンションが立ち並ぶ風景で記憶とはだいぶ違っていました。

市ヶ尾駅のあたりから平地の畑が増え鶴見川を渡ると、「藤が丘」「青葉台」とまた小高い場所に入り、しばらくすると「田奈」駅の向こうにまた川沿いの平地が見えて鶴見川支流の恩田川を渡ると長津田駅に到着しました。

この辺りの地図を見ても私の頭の中の地図は平地だったのですが、実際に通ったことで立体的に思い出せるようになりました。

 

長津田駅JR横浜線に乗り換えると、恩田川沿いに長細く水田地帯が見え始めます。長津田、こういう意味だったのですね。

 

 

東急田園都市線の「沿線風景」と地形*

 

Wikipedia「東急田園都市線」の「沿線風景」にその地形の特徴が書かれていました。

渋谷ー二子玉川

(略)用賀駅を過ぎ、環八通り玉川通りが交差する世田交差点の直下で玉川通りのアンダーパス下を横切って南側(東側)に抜け、間も無く国分寺崖線を出口として行善寺坂付近で地上に出る。

 

二子玉川溝の口

二子玉川駅のプラットホームは南側(先頭車両寄り)で多摩川の橋梁上にかかり、かつては併用軌道線だった二子橋を右側(西側)に見ながら同川を渡る。渡ったすぐ先に二子新地駅があり、ここから溝の口駅までは多摩川の氾濫原を高架で進む。

 

溝の口長津田

溝の口駅の南側にあるトンネルを皮切りに、起伏の多い多摩丘陵を貫通する。カーブ、トンネル、切り通しあるいは高架が連続し、地表を直線的に進む区間は少ない。

(中略)

田奈駅のすぐ先で鶴見川水系の恩田川を越えると周囲は平坦になり、宿場町として古くからの街並みも残る長津田地区に入る。

 

私の車窓の風景の観察もなかなかいい線をいっていました。

 

ところで行き先表示で40年近く見ていた長津田は「ながつだ」だとずっと思っていたら、「ながつた」でした。

ホームにちょうど南栗橋行きの列車が入ってきました。それに乗れば利根川の近くまで行けます。思わず利根川をまた見たいと乗りたくなってしまいました。

 

私がこの路線に乗り始めたのは東急田園都市線の前の新玉線時代で、まだ渋谷ー二子玉川間が開通したばかりの頃でした。Wikipediaの歴史を読み直していて記憶がうっすらと戻ってきたのですが、あの頃はまだ二子玉川から多摩川を渡る直通列車はなくて乗り換えていたのですね。

 

それが2003年に東武電鉄と相互乗り入れが始まり、今では利根川まで直通で行ってしまうのですからすごいですね。

 

Wikipediaの歴史を読むと、二子玉川溝の口間が最も早く1927年(昭和2年)に開業したようですが、あのあたりは「多摩川へ合流する2河川」があり「洪水によって袂をわかつ」ような場所だったようですから、当時橋を架けるというのは難事業だったことでしょう。

そして1974年に多摩川水害が発生したのはわずか3kmほど上流でした。

 

新玉線に乗っていた頃から20年ほどの間に沿線の宅地開発が次々と進み、いつの間にか3本の大きな河川を横断するようになりちょっと知らない世界になっていました。

なんだか出だしからそんな浦島太郎の気分の散歩になりそうです。

 

 

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