発達する 11 <ただただ存在していることに意味があるところへ戻っていく>

90代にもなると、本当にひと冬を越すことにどれだけ体力を使うのか、今年の父をみていると理解できました。
お世話になっている施設では通年、施設内の温度も湿度も一定なので、自宅で暮らしていた頃のような室内でも凍えるような寒さや熱中症など、過酷な温度差で体力を奪うことはないのですが、どこからともなく入ってくる細菌やウイルスと闘うことに体力を消耗させられるようです。


12月にはホールに行けるようになったものの、その後、インフルエンザ発生のために施設全体の面会制限が何度かありました。
幸いに、父はインフルエンザにはかからなかったのですが、風邪のような症状で咳き込み、一時絶食になりました。


そこから何とか回復するたびに、表情と言葉が失われました。


12月には笑顔もなくなってしまったのですが、1月と2月には少しうれしそうな表情があったので、ほんとうに新生児の笑顔を目撃した時のように心がはずみました。
1年ほど前から、面会に行った時の父の言葉を記録するようにしたのですが、言葉を連ねて話せていたのに、だんだんと簡単なひと言ふた言だけになっていき、私が聞いた父の言葉は1ヶ月ぐらい前の「おはよう」が最後になりました。


終日、うつらうつら眠っていて、時々目を覚ますと何か不快そうな表情をして、またうつらうつら眠っています。
咳が出そうになったり、あるいは排泄のタイミングで表情が険しくなるのかもしれません。
笑顔は見られなくなってしまったけれど、その表情の変化を見つけただけでもほっとすることに私自身驚いています。
仕事で接した患者さんには、こんなことも見逃していたのだろうなと。


3〜4ヶ月前の、父とまだホールでおやつを食べたりしていた頃は、目の前にいる私は誰なのだろう、何を話しているのだろうと記憶のつじつまを合わせようとして緊張したり不安になっている印象があったので、面会は1時間ほどで切り上げていました。


今は、静かに寝息を立てている父のそばで、心置きなくぼーっと長居をすることができています。


そーっと手を握ってみました。
体力の低下とともに、動いていた手もほとんど動かせなくなってしまいました。
氷のように冷えきっていました。
腕を触ってみると、おどろくほど筋肉がなくなっていました。


父がひと冬を越えるために、これだけの体力が奪われたのでしょう。


病院へ向かう途中、父が暮らしている地域は一斉に花が咲き乱れる桃源郷のような風景になっていました。
もう今年がこの風景を見る最後になるのかな、とふと思いながら病室に入りました。


咳が落ち着いたので、また食欲は出て来たようです。
うつらうつらと眠っていたのに、しっかり目が覚めてゼリーを完食しました。


来年のこの時期もまた、こうして父のそばにいられるとよいのですが。
ただただ、寝息をきいているだけでもいいので。





「発達する」まとめはこちら