トイレについてのあれこれ 4 <トイレットペーパー>

駿河湾のヘドロというと、富士市の製紙工場、トイレットペーパーと連想するのは、現在、どの年代から上の人たちでしょうか。


トイレットペーパー騒動を読むと、私が中学生の頃にトイレットペーパー買い占め騒動が起きていたのですが、当時は私の感覚でも「トイレにはトイレットペーパー」が普通になっていました。
え?意味がわからない世代もいるかもしれませんね。



先日、向島百花園へ行った帰り道に、あのスカイツリーがある押上まで細い路地を歩いてみたのですが、ビルやマンションに囲まれた中に残る小さなお店に昔ながらのちり紙がありました。
四角く切ったトイレ用の平紙です。


きっと、今でも「その紙じゃなければ拭いた気にならない」みたいな年代の方々がいるのかなあと想像してしまいました。


<1960年代の回想>


Wikipediaトイレットペーパーの歴史には、以下のように書かれています。

上下水道整備の進捗に伴い昭和30年前後から便所の様式が「汲み取り式」から「水洗式」へ「和式便器」から「洋式便器」へ変化し、合わせてトイレットペーパー生産量も増加した。


ただ、実際にはもっと混沌としていたように私には記憶があります。
1960年代前半に、最新の官舎に入った時には、まだまだ珍しかった水洗のトイレでしたが、和式便器のタイプでした。
トイレットペーパーを使ったかどうか、はっきりした記憶はありません。


1960年代半ばに都内を離れて山間部の官舎に移った時には、再び汲み取り式のトイレになり、トイレには四角いトイレ用の紙を置く容器があって、平紙を使っていました。
トイレットペーパーホルダーそのものが、備え付けではなかったのでしょうか。


1960年代終わの頃に、その地域でも新しい官舎が出来てそちらに移りました。
その官舎は、敷地内に専用の浄水槽ができたので、トイレは和式ではありましたが、水洗式トイレになりました。
この時にトイレットペーパーホルダーがついていたのか、トイレットペーパーを使っていたのかは、なぜか記憶にありません。


トイレットペーパー騒動があった年は、また別の古い官舎に移った直後で、汲み取り式でした。
ただ、母がこの騒動をテレビで観ても、トイレットペーパーを買い占めようとしなかったことが印象に残っているので、この頃にはすでに私の家でもトイレットペーパーを使うのが当たり前になっていたのだろうと思います。。


おそらく、この1970年に入るあたりのわずかの期間で、日本のトイレにもトイレットペーパーホルダーが標準的につけられるようになり、平紙からトイレットペーパーへと逆転していったのではないかと回想しているのですが、事実はいかに。


ただ、時々、祖父母の家に遊びに行くと、そこではまだ依然としてあの平紙がトイレにありました。


でも、私が幼児の頃の鮮烈な記憶として、祖父がその平紙さえ使わずに新聞紙をくしゃくしゃにして柔らかくしたものを使っていたことを覚えているので、あの祖父がトイレ用の紙を使うようになったのだと時代の変化を感じたのでした。


あのトイレットペーパー騒動から40年ほど過ぎて、実家に帰ると、トイレットペーパーが幾袋も買い置きされているのが次第に目に付くようになりました。
せめて2〜3袋ならまだしも、1年分ぐらいあるのではないかと思う量です。次第に戸棚からあふれて、戸棚の前にも山積みされるようになりました。
「こんなに備蓄しなくても、車で買物にいくのだから、なくなりそうになったら買えばいいのでは?」と言うのですが、「安い時に買っておかなければ。なくなったら不安」と。


もしかしたら、あのトイレットペーパー騒動を冷静に対応した母の胸の内には、相当な不安があったのかもしれませんね。


今は誰も住んでいない実家に、何袋、トイレットペーパーが残されているのでしょうか。






今日の話は、「記憶についてのあれこれ」にしようか「10年ひとむかし」にしようか迷ったのですが、そうだ以前「トイレについてのあれこれ」という記事があったと思い出しました。
あわせて、「下水道についてのあれこれ」もどうぞ。