散歩をする 21 <横浜中華街>

せっかく横浜にまで行くので、ちょっと観光地っぽいところも歩いてみようと思い、地図で予習をしました。


馬の博物館からおそらく30分ほどで、海の見える公園まで行けそうです。
それから山下公園まで歩いて、お腹がすいたら中華街で何か食べてから帰ろうと計画しました。
海の見える公園周辺はアップダウンが多い土地だということは以前から知っていましたが、標識に従いながら歩いたつもりでも途中で道に迷う複雑さでした。


山下公園は、30年ぶりです。
ソマリアへ行く前に黄熱病の予防接種を受ける必要があって、あれは何の施設だったのか、このあたりへ来たのでした。
あやふやな記憶では、長い海岸に公園が整備されていて、湾内はもっと広く視界をさえぎるものもなく、静かで異国情緒あふれるゆったりした公園だった印象です。
こんなにごちゃごちゃと建物があるところだったのかと、ちょっと驚きました。
まあ、30年の月日ですからね。


<横浜中華街>


山下公園から中華街はすぐにあります。
いくつか行った国でも、だいたいは中華街があってなんだかほっとさせられる場所でした。
現地の食事になじめなくても、「中華街に行けばおいしい食事がある」という感じですね。


この横浜中華街にも、30年以上前に行った記憶があります。
1980年代には、横浜の元町や中華街は観光地としてすでに人気がありましたから、当時も賑やかでした。
でもWikipediaを読むと、中華街の歴史は150年以上と長くても、日本人向けに広まったのが1972年以降のようなので、私が行った頃はまだブームになり始めた頃だったのでしょうか。
1980年代はまだ地下鉄の「元町・中華街駅」もなかったので、たしか関内か桜木町から歩いて行ったと思います。


1972年の「日中国交正常化」は、当時小学生だった私の記憶にもいろいろと残っています。
ニュースの映像からは人海戦術と人民服の国というイメージでしたし、パンダはずる賢いはずと父の影響からくる気持ちと、美味しいジャスミンティーと中華料理そしてかわいいパンダへの気持ちが拮抗しあったのでした。



2000年代の「韓流」ブームが起きた時に、もしかしたら1970年代の中国への社会の雰囲気はこうやって変化したのかなと、小学生だった頃には見えていなかったものが少し理解できた気がしました。


さて、その日は平日の夕方でしたが、すごい人出でした。
観光客目当てに、色とりどりのメニューの写真が飾られています。
あまり人が入っていなくて静かなお店がいいなと、少し外れにあるお店に入りました。


まずは生ビールと春巻きです。
そのお店は台湾系の中華料理店でしたから、迷わずビーフンを頼みました。
あ〜、おいしい!


もうひとつ、そのお店の雰囲気が気に入りました。
まだお客さんが少ないので、お店のテーブルで子どもが宿題をしていました。
お店で働いているお母さんが、宿題を見ています。
そこにまとまったお客さんが入ってきました。子どもたちは、宿題を持って別のテーブルに移動して、続きの勉強をしています。


中華街だけでなく、一時期暮らした東南アジアのある国の食堂もこんな感じ。
日本のきちんとした接客サービスの良さもあるし、こういう気負いのない雰囲気もまたいいですね。



大満足の横浜のお散歩でした。
足はつりそうでしたが。




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