下水道についてのあれこれ 11  16%から100%へ

瑜伽神社のそばに、旦過市場の間を流れてきた神嶽川が緩やかに北側へと蛇行して紫川に合流する場所があります。

行く前に地図で想像していたのは、1980年代ごろの目黒川のように川は汚くて臭いものと感じていたような流れでした。

 

合流部に近い神嶽川の右岸がわはおしゃれなレンガ張りの道があり、その先にスッと建っている小倉城天守閣とお城の公園の緑を背景に、紫川との合流部が見えました。

なんと美しい風景でしょう。

今回は残念ながら小倉城周囲の堀の水はどこからきたのか確かめる体力がなかったのですが、この小倉城の前の紫川と神嶽川の合わさるあたりの美しさを確認できただけでも満足しました。

 

 

*「紫川マイタウン・マイリバー整備事業」*

 

神嶽川の始まりを訪ねるのにJR日豊線に乗って城野駅に向かう途中、紫川を2回渡りました。

最初に河口付近を渡り、そのあと南小倉駅を過ぎたあたりでもう一度渡ります。

小倉城の近くでは近代的な都市河川の様相でしたが、わずか1.5kmほど上流では住宅や学校などの間を静かに流れる川でした。

 

Wikipedia紫川によると、二級河川紫川水系で全長22.4kmとあります。

小倉市の南の山の間から始まり、分水嶺で周防灘の方へ流れずに真っ直ぐ関門海峡へと流れている川でした。

 

1990年に「紫川マイタウン・マイリバー整備事業」が開始され、100年に1回の大雨に耐えられるような治水を進めると同時に、道路や公園、市街地整備などを一体的に整備していった。この1990年代の紫川の整備の目的の1つとして、北九州市ヒートアイランド現象対策の1つで、玄界灘から吹き込む海風を、効率よく市街地へと流入させる意図もあった。

 

都内でもヒートアイランド対策に海風を利用していることを耳にすることが増えた時代でした。

だからビルがあると案外涼しいのでしょうか。

いろいろなことが考えられてきた時代ですね。

 

 

*下水道普及率が16%から100%へ*

 

Wikipediaの「地理・自然」に下水道普及率が書かれていました。

しかし、1960年代まで周辺の工場や自宅から排水が紫川に流れ込み、水質汚染が進んだものの、1970年代には下水道の普及が進んだ。1969年度に市全体で16パーセントだった下水道普及率は、1977年には50パーセントを超え、21世紀初頭現在は100パーセント近くに達した。その間に水質の改善に伴い、紫川には再びアユやシロウオが遡上し、上流ではホタルが舞うようになった。

 

 

「水辺はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚」だった時代から半世紀、あの小倉城周辺の美しさも、この下水道普及無しにはなかったことでしょう。

 

 

旦過市場も火災から免れたお店は営業していて、お客さんもいました。

瑜伽神社から魚町アーケード街を通ると、小さなお店が健在で、賑わいがありました。

もっと歩いてみたいと思う小倉の街でした。

 

帰りの新幹線からまた車窓の風景を眺め続け、ただひたすら川と海と開作を眺めた3日間が終わりました。

 

 

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