庄内平野の散歩の記録だったのが、このあたりからとんだ長い寄り道になってしまいました。
闇が見える瞬間があるのを見過ごしてはいけないですし、「だまされていた」と平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろうという言葉が身につまされるようになるこの頃ですね。
さて、狩川駅前から再び陸羽西線代行バスに乗りました。県道沿いには水路が続き、線路の北側にはずっと水田が続いているのですが、あのあたりも最上川よりも高い場所でしょうか。
稲穂がやや強い川風に揺れ、黒瓦の屋根が美しい街と、その向こうに鳥海山が見えます。
途中、水田のそばに石碑があるのが見えました。どんな歴史が書き込まれているのでしょう。
2019年に酒田から村上まで特急で通過した時に、行けども行けども水田地帯でくまなく大小さまざまな用水路が張り巡らされているのが車窓から見えました。
いつかこのあたりを歩いてみたい。叶わぬ夢かと思っていた風景が目の前にひろがっています。
20分ほどで余目駅に到着しましたが、ここで初めて「あまりめ」ではなく「あまるめ」と読むことを知りました。
この駅の周辺にも水路が描かれて、南西には「梵天塚」という珍しい地名と古墳があるようです。
そこを目指す予定でしたが、狩川を歩いてこの暑さでは無理とわかったのでゆっくりとお昼ご飯を食べることにしました。
駅周辺にも美味しそうなお店がありましたが、今食べたいのは「山盛りの野菜」です。
あらかじめ目星をつけていたお店を目指しました。
相変わらず強い日差しと強い風で、日傘をおさえながら元は田んぼだったのだろうと思われるまっすぐな道の住宅地を歩きました。
駅から数分なのでいつもならなんでもない距離ですが、熱中症で倒れたらこの地域の方に迷惑をかけてしまうという不安を感じる暑さでした。
*庄内平野の台湾料理店の中華丼*
「台湾料理」のお店でしたが、言葉の端から台湾か中国からこの地でお店を経営されているらしいことがわかりました。どんな人生なのでしょう。
中華丼とミニ冷やし中華のセットを頼みました。野菜がたくさん載っていて、ご飯も美味しくて生き返りました。
旅行中は食べる時間も惜しんで歩き続けるので朝と夕の2食になることが多いことと、その地域の有名なご飯となると野菜不足になりやすいので、無性に中華丼を食べたくなります。
子どもの頃は苦手だったのですけれど。
散歩の記録を確認すると。相生とか成田線の小林駅とか阿南で食べていました。
東南アジアやソマリアで食欲がなくなると野菜炒めは万能!中華料理はすごい!と感嘆したのですが、その野菜炒めがまさかの日本の発祥とはのちに知りました。
Wikipediaの中華丼を読むと、これまた日本の発祥らしいことも書かれています。
中国では昔から、八宝菜をご飯にかけて食べる人が多数いたが、あまり上品とはされていなかった。中華丼としての成立は日本が発祥とされ、「中華丼」という名称も、浅草来々軒の作とする説がある。
最近だとあんかけご飯はちょっとおしゃれな中華料理屋さんのメニューのイメージになりましたから、時代が変われば気持ちも変わりますね。
台湾料理店で「中華」丼とか冷やし「中華」というのは、お店の人はどんな感じなのだろうとナイーブな問題が気になってしまったのですが、やはり種類は違えどお米にあった料理として国境を超えて美味しさはつながっていきますね。
Wikipediaの「余目町」によれば、この辺りもまた最上川よりも高い地域で17世紀初めまでは広大な原野だったそうです。
稲穂が揺れる庄内平野で食べた中華丼、おかげで元気が出ました。
午後は少し長い距離を歩く予定です。
「食べるということ」まとめはこちら。