散歩をする 22 <箱根山に登る>

本当に箱根に行ったわけではなく、都内にある箱根山に行きました。


馬の博物館の展示に、戸山の陸軍施設にも競馬場があったらしいことが書かれていたので、戸山公園に行ってみようと思いついたのでした。


地図を見てみると、明治通りで戸山公園が二つに分かれています。
両方に行ってもいいのですが、結構広そうなのでどちらにしようか迷っていると、「箱根山」が目に入りました。
Wikipediaには、江戸時代に尾張藩徳川家によって整備された庭園跡で、「敷地内には箱根山に見立てた築山の玉円峰(現在の箱根山)、東海道の小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられた」と書かれています。


清澄庭園などと同じように、その庭園を歩くだけで旅をしたような気持ちになる、現代のテーマパークのようなものだったのでしょうか。


その箱根山には「陸軍戸山学校記念碑」があるとのことなので、この「箱根山地区」へ行くことにしました。


新宿駅から新宿2丁目を通り抜け、明治通りから大久保通りへと歩くだけでも、どんどんと街や歩いている人たちの雰囲気が変化していきます。
戸山ハイツに近づくと、木陰でおしゃべりをしている年代層の高い人たちの姿が増えて、その間を抜けると、都心とは思えないほどうっそうとした森に入ります。


地図ではわからなかったのですが、公園入り口からはすり鉢状になっています。
戸山ハイツというと、高齢者問題で時々耳にする団地ですが、結構アップダウンがある土地にあることを知りました。


Wikipediaに、公園になるまでの経緯が書かれています。

明治維新後、戸山山荘は明治政府に明け渡される。跡地には1873年明治6年)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用された。戦後、軍事施設はすべて廃止された。1949年(昭和24年)、跡地には戸山ハイツの建設が開始され、1954年(昭和29年)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」として開園した。


公園として整備され始めた頃は、まだ植樹されたばかりの木々がある程度だったのかもしれません。
60年という年月は、うっそうとした森を作りだす時の長さなのでしょうか。



さて、馬の博物館には「戸山陸軍士官学校」と説明されていたように記憶していたのですが、この戸山にあったのは陸軍戸山学校でした。



昭和42年に、元陸軍戸山学校縁故有志一同の名で記念碑が建てられていました。

この地は和田戸という武士の館の跡で源頼朝が源氏の勢ぞろいをしたところと伝えられ後代戸山と呼ばれた寛文年間尾張徳川候の下屋敷となり殿宮祠などかずかずの建物と箱根山を中心とし東海道五十三次に擬した風雅な庭園が造成された明治6年その地に兵学寮戸山出張所が設けられ翌7年陸軍戸山学校と改称されて以来七十年にわたって軍事の研究教育が行われ国軍精強の基を培ったばかりでなく国民の体育武道射撃音楽の工場に幾多の寄与をした記念すべき地であるこの度東京都がこの地に緑の公園を整備されるにあたってこの記念碑を建てて東京都に贈る

父の思想に嫌悪感を感じて心を閉ざした30代の頃には、この地を訪れようとも思わなかったでしょうし、こういう記念碑にも感情が揺れたことでしょう。


「そういう時代があった」「どんな思いを持っていたのか」とあれこれと静かに受け止められるようになった私自身の変化に、自分でも少々驚いているのですが、父の時代と私の時代を行きつ戻りつ考えていることで、感情が穏やかになったのかもしれません。



ところで、ここに競馬場があったかどうかはわかりませんでした。





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