記憶についてのあれこれ 114 <30数年前の麻酔科の授業>

前回の記事で紹介した産科麻酔の本を読んでいると、私が看護学生だった1970年代終わりから80年代初めの頃の時代が、遠い大昔のように感じてちょっとめまいがしそうです。


以前書いたことがあるのですが、私は卒業したら手術室勤務を希望していました。
残念ながらその年には手術室での新卒の採用がなかったため、外科系の病棟で働き始めました。


なぜ手術室で働きたくなったかというと、看護学校で教わった麻酔科の授業が印象に強く残ったことがきっかけかもしれないと思い返しています。


こちらの記事に書きましたが、当時はまだICU(集中治療室)が出来始めたばかりでした。
救命救急という言葉が一般的になる少し前の時代だったのだと、わずか30数年の医療の進歩の速さにまためまいがしそうです。


看護学校で教えてくださった麻酔科の先生は、当時、日本に麻酔科という単独の診療科を広げることに中心的な存在だった先生だと、授業の前の講師紹介で聞きました。
そして、授業ではその先生が書かれた麻酔科の教科書が使われました。
「麻酔科看護」という言葉もないくらいの時代で、その教科書は医師向けに書かれたものだったのですが、布ばりの表紙でその先生が1冊1冊にサインをして学生に渡してくださいました。


記憶では、たしか200ページにも満たない本でした。
医師向けの麻酔の専門書が、まだそのくらいだったということだったのですね。
今もその表紙の感触を思い出すのですが、残念ながら手元に残っていません。とっておけば、とても貴重な麻酔医学の歴史資料になったかもしれませんね。


なぜ痛みをとることができるのか、なぜ意識を一時的に無くしてそして戻すことができるのか。
そのあたりへの関心が、手術室で働いてみたいという気持ちになったのかもしれません。


卒業してから外科系病棟で勤務し始めましたが、手術室内にいる麻酔科の医師と接する機会はほとんどなくなりました。
80年代終わり頃に助産師になってからは、帝王切開では産婦さんに付き添って手術室に入室し生まれた赤ちゃんに対応するので、手術室での麻酔科の先生の仕事をそばで見る機会が増えました。


90年代に入ると*、麻酔科の先生が自ら手術前後に患者さんのところへ訪室して、手術への不安が少なくなるように説明してくださるようになりました。
母の手術の際にも、執刀医だけでなく麻酔科の先生が丁寧に手術について説明をしてくださいました。
術中の合併症という事態が起きてしまいましたが、麻酔科の先生と術前にお会いするだけでも信頼関係というのはこんなにも違うのかと、患者の家族の立場になってその意味が理解できました。


また、婦人科手術でも帝王切開でも、術後の痛みを少なくするようにと持続的硬膜外麻酔を導入したり、あるいはペインクリニックで慢性的な痛みへの対応が始まったり、看護学生のころからわずか10年ほどでも麻酔科の先生方がとても身近な存在になりました。


そして、「麻酔が原因での母体死亡を減らすにはどうしたらよいか」「麻酔科医は、麻酔以外の原因による母体死亡も減らすことができるのか」(「これだけは知っておきたい! 産科麻酔Q&A」)と、周産期医療でも研究が積み重ねられるようになって来たことを読むと、あの授業を教えてくださった先生がもしご存命なら、どんな思いで麻酔科の発展を受け止めるのだろうと思います。


30数年ほどの麻酔科の変遷という視点でみると、無痛分娩のニュースはまた違う読み方ができるのかもしれません。




*2017年5月12日追記
コメント欄でタカ派の麻酔科医さんが教えてくださったのですが、麻酔科医による術前訪問は80年代にはすでにほとんどの病院で行われるようになっていたようです。




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