車窓から阿武隈川の左岸に大きな製紙工場が見え、チップの巨大な山の上でショベルカーが作業をしていました。見ていてるだけで足がすくみそうな作業です。
ふと列車の中に富士市を通過するときと同じ匂いが漂ったような気がしました。
その製紙工場の先が、「阿武隈」という住所 がある一帯です。
常磐線が阿武隈川の鉄橋を通過すると取水堰があり、私が堤防沿いを歩いてみていた河口側の阿武隈川よりも水量が歴然と違う上流側が見えます。
鉄橋を渡ると、10月にみた亘理の水田地帯が海側へとずっと広がっていました。
まっすぐにはるか向こうまで続く農道を見て、距離的には海まで歩けないことはないけれど、歩いて鳥の海に行くのは無理そうだと直感しました。
亘理駅に降りた時、たった二駅しか違わないのに日差しが暑いくらいだった岩沼の天気から一変して、冷たい風が吹いていて、日はさしているけれど雨がパラついてきました。これはもう、タクシーを使うしかなさそうです。
*鳥の海へ*
タクシーの運転手さんに「歩いて行こうと思ったけれど」と行き先を告げると、ちょっと呆れられました。
「取材か何か?」とやや警戒されたような感じで尋ねられたので、「鳥の海を見たかったのと、はらこ飯を食べにきました」と正直に目的を話しました。
風が強いことに驚くと、「浜の方の人たちは、松林が(あの震災で)なくなってから風が強くなったって言っている」、「今は海に行っても堤防だけで海も見えないよ」「まだあっちこっち工事中だ」とのこと。
この水田地帯も水害にあったのか尋ねると、この辺りは大丈夫だったそうで、「この道路(常磐自動車道)の向こうがほとんどダメだったね」とのことで、確かに自動車道を超えて荒浜地区に入ると、風景は一変して真新しい家と道路になりました。
恐る恐る、「運転手さんのご自宅は?」と尋ねると、線路よりも山側にあったので大丈夫だったそうですが、「浜の漁師たちは、もう海には戻りたくないって、ここ(荒浜)から出て行った人も多い」そうです。
しばらくすると、緑色のまるで一級河川の堤防かと思うような堤防が見え始めました。
その向こうは太平洋です。
タクシーを降りると、波の音が堤防の向こうから聞こえてきました。
堤防は地元の人も散歩をしていたので、登ってみました。仙台と松島のあたりでしょうか、遠く海岸線が見えました。
風に飛ばされそうで、今日は確か亘理の風速の予想は7mだけあって、見ているだけで足がすくみそうな大きな白波がたっていました。堤防より海側でもたしかにまだ護岸工事をしていました。
鳥の海もイメージしていた干潟ではなく、コンクリートの歩道と防波堤で整備されていました。
防災公園として小高い避難場所が作られています。周辺の植木はまだ小さく細いけれど、20年30年もすれば、あの葛西臨海公園のようにまるで昔からそこに森があったかのような憩いの場所になることでしょう。
体が冷えてきたので、はらこ飯を食べにお店に入りました。
目の前に鳥の海が見えて、そばに漁港があります。そして「鳥の海ふれあい市場」があって、平日だというのに結構な人が買い物に来ていました。
亘理産のお土産を買って、迎えに来てもらったタクシーに乗りました。
駅に戻るのに、道を変えて阿武隈川の河口のそばを通ってもらいました。「降りて河口を見ますか?」と言ってくださったので、堤防の上に登ってみました。
また取材かというニュアンスで尋ねられたので、はらこ飯を食べに来たことと阿武隈川を見たかったことを話したら、ちょっと呆れられました。
そしてもう一人の運転手さんと同じことをおっしゃられました。
「はらこ飯も味が家によっていろいろ違うからね」と。
地図で気になった水色の場所でしたが、えいっと行ってみて本当に良かった。
そしてあの防災公園のある海岸沿いの風景がどんな風に変化するのか、また訪ねてみたいものです。
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