時々呪文のようなタイトルになりますが、井の頭五郎氏がおいしさを表現する時に時々使われているようです。
「な〜るほど。こうきたか」と。
番組では世界中の料理が分け隔てなく出てくるのですが、日頃見慣れている料理でも、反対に全く初めての料理でも、「なるほど、この手があったか」と新しいものを受け入れていく姿に、私はあの番組の中で一番おいしさを感じているのかもしれないと思っています。
「この味付けはこうすべき」「この材料はこう調理すべき」ではなくて、自分が知らなかった、思いつかない未知の世界が広がったことが、おいしさにつながっているのでしょうか。
<サージョイとオーネ>
この「こうきたか」を感じさせる番組に、もうひとつ、「コウケンテツが行く アジア旅ごはん」があります。
NHKBSは契約していないので、たまに地上波で放送される時に見ています。
先日、タイの山岳少数民族の村の肉団子のような料理とお粥を紹介していました。
コウケンテツ氏が「こうきたか」と言ったわけではないのですが、五郎さんなら絶対にそう言うだろうなという場面が二つありました。
まず、サージョイ(肉団子)を作る時に、庭に出て香味料になる植物採取から始まりました。
ある木の幹の皮をすこし剥いでから、幹を薄く削り取って行きます。
コウケンテツ氏が少しそれを口に入れたら、苦みで顔をゆがませていました。
ウルシ科の植物のようなので、私だったら数時間ぐらいからひどいことになるでしょう。
その木の幹と青ネギ、パクチーを豚ひき肉にまぜて叩いて行きます。
味付けは塩ととうがらしのみで、バナナの葉に包んで蒸して出来上り。
渋みと苦みの強かった木の幹がなんとも良い味を出している様子が、コウケンテツ氏のおいしそうな表情からわかりました。
「こうきたか」と。
さらに、東アジアだったら熱々の蒸したてを食べるのがおいしさのひとつではないかと思うのですが、その肉団子は40分かけて蒸したあと「冷ましてから食べる」ことにも驚いていました。
もうひとつは、「オーネ」というお粥です。
これも中国や日本、あるいは韓国のお粥とは全く違っていました。
最初に、お米を煎ることから始まります。
ほんのりきつね色になったその煎ったお米を、今度は撞いて粉にしていきます。
コウケンテツ氏が10分ほど撞いてギブアップしたのですが、まだまだ不十分で、30分ぐらいついて「カオクア」という煎り米の粉にします。
それに水を加えて、弱火で30分以上ゆっくりとかき混ぜ続けてようやくお粥が出来上がります。
ね?
「こうきたか」と思いますよね?
「食べるということ」まとめはこちら。