散歩をする 26 <天王洲アイルと運河>

玉川上水に関心が出始めた頃から、地図の上で川をたどってみる楽しみが増えました。


ただ、多摩川とか隅田川ぐらいは河口付近の地図が思いつくのですが、それ以外の河川は何度地図を眺めても、未だにその地理感覚がうろ覚えのままです。
以前は「地図」といえば本になったものでしたから、下流までたどりつくのにページを探しながらだったことも覚えにくかった理由かもしれません。
ところが、iPhoneMacのようにするするとどこまでも地図上でたどれるようになっても、やはり実際に歩かないとなかなか頭に入ってきません。


目黒川も、源流から河口までどうなっているのかほとんど知らない川のひとつでした。

東京都世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぐ。 (Wikipedia「目黒川」)


天王洲アイルというと今ではオシャレな場所というイメージですが、私の中では、1980年代初めの頃に羽田行きのモノレールからみた倉庫の立ち並んだ場所を思い出す場所です。
Wikipedia天王洲アイルの「歴史」には、「1925年(大正14年)から埋立が始まり、1939(昭和14年)に完成。第四台場は埋もれ品川と陸続きとなり、埋立地は工場や倉庫の用地として利用が始まる」の次が、「1986年10月:東品川二丁目(天王洲アイル)の開発計画を策定する。このころはまだ雑多な倉庫街であった」となっているので、私の記憶もそう間違いではなさそうです。


地図を見ると、目黒駅から下流は、五反田から大崎までJRの線路の側を流れています。
大崎駅周辺というと、その変貌の激しさに驚く街のひとつです。
三十数年前に何かの機会に大崎駅に降りたのですが、そこは工場が立ち並んでいて、歩く人も見かけない街でした。
たしか、ドブ川のような川が流れていました。


あれが目黒川だったのですね。


大崎駅から目黒川河口までは地図を見ると、途中、歩道が川から離れた箇所もありますが、歩いて行けそうです。


大崎駅から目黒川沿いへいくと、そこには木々が涼しい木陰を作っている歩道が整備されていました。
ゆったりとした幅の歩道で、さらに、あちこちに目黒川に向かってベンチがあります。
疲れたらちょっと座って川を眺める。
ここも、ほんわかと川の香りを感じる程度で、イメージしていたドブ川の臭いは全くありません。


途中で、目黒川から離れて山手通りの歩道を歩かなければならないのは、ちょっと残念でした。ずっと河口まで、川沿いに歩道とベンチが整備されていたら、そこにはもっと豊かな時間を見つけられそうな気がします。
ただ、目黒川に近づいたり離れたりしながら山手通りが通っていることを、歩くことで初めて知りました。
そしてその山手通りもけっこう曲がりながら通っているのは、何か歴史があってのことなのかもしれませんね。


小一時間の散歩で、あっけなく目黒川の河口にたどり着きました。


そして目の前にはオサレな天王洲アイルが見えます。
天王洲アイルへと橋を渡ってみました。
水門がいくつもあって、川ではなく運河に囲まれていることがわかります。


運河に面した水辺には、ウッドデッキが整備され、運河の水を眺めながらぼーっとできる場所がたくさんありました。
ちょうどゴールデンウィーク中でオフィスが休みのためか、天王洲アイルはひっそりしていて、ちょっと穴場だったかもしれません。



川や海、そして運河を日常の生活で身近に感じながら、暮らすことができる。
いい時代になったのだと思いました。


夢の島といい、汚れた臭い川といい、東京湾というのは汚い海という子どもの頃からのイメージが嘘のような、目の前の風景です。
そのためにはどれだけの人たちが、どのような形でたずさわってこられたのだろう。
考えたら、ちょっとめまいがしそうです。



そしてそういう社会の中の地道な作業が目に見えるようになるのには、これもまた半世紀ほどの時間が必要なのかもしれない。
そんなことを思いました。




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