散歩をする 43 <神田川>

神田川」と聞くと、2つのことがあたまをよぎります。
中学生ぐらいの頃にヒットした「神田川」と、もうひとつは私が私が神田川だと思っていた川は本当はなんという川だったのかということです。


神田川」の歌詞に恋人と思われる二人が銭湯にいく様子があるのですが、そのせつなさよりも私にとって気になっていたのが、「1960年代前半はまだ内風呂がないことも珍しくなかったけれど、70年代に入って三畳一間のお風呂のない部屋があるのは神田川のどのあたりだったのだろう」ということでした。


神田川がどこをどう流れているか当時はほとんど知らず、その後地図が好きでしょっちゅう眺めるようになってからも、川に関してはあまり関心がなかったのでした。


再び、神田川が気になり始めたのが90年代で、玉川上水の近くに住んだことがきっかけで玉川上水が神田川に合流していることを知りました。
当時、井の頭公園に源流がある神田川を歩き、その玉川上水と合流している高井戸付近を見に出かけたり、方南町近くまで歩いたこともありました。


ところが善福寺川妙正寺川などの支流や「神田上水」と合流し、下流はどこをどう流れているかになると、なぜか混乱してしまいなかなか神田川の流れを頭の地図に描けないままでした。


昨年、清住庭園のあと隅田川を浅草方面に歩いた時に、初めて神田川隅田川に合流する河口を見ました。
「ああ、秋葉原の横を流れていた川が神田川だったのか」と。
そのうちに、神田川を全部歩いてみようと思っていました。


神田川石神井川の関係>


きっかけとなったのが、先日行ったTOKYOミナトリエで見た、江戸時代の地図でした。
まだ日比谷が埋め立てられる前の、「日比谷入江」と呼ばれていた時期の地図です。
その中に、現在の神田川が位置するところに「旧石神井川」と書かれていました。


現在の石神井川は、もう少し上流の王子付近で隅田川に合流しています。
この石神井川の付け替えや変遷に関しては、石神井川の「古石神井川とかつての河道」や「石神井川下流の流路変遷」に書かれています。


その地図を見て、冒頭の「私が神田川だと思っていた川は何という川か」という長年の疑問が少し解けたように思いました。
何度、地図を見ても私が幼少時に過ごした地域は、石神井川の支流のほうではないかと思っていたのです。
もしかしたら両親もまたその支流がどの川へと合流しているのか混乱して、「あの川は神田川」と子どもに言ったのではないかと。


ふだんの生活では、よほどのことがないとそんなに川の流れを詳しく把握していないし、「神田川」といっても住んでいる場所によって異なるような漠然としたイメージなのかもしれません。



神田川をさかのぼる>


前置きが長くなりましたが、神田川下流から上流に向かって実際に歩いてみようと出かけました。


浅草橋から出発しましたが、お茶の水駅の少し前までは神田川と並行して歩ける道は川から離れているだけでなく、高いコンクリートの護岸でほとんど川の流れが見えません。
味気ない歩道を歩きながら、散歩コースとしては失敗だったかなと後悔し始めていました。
最近は、ほんとうにあちこちの川がきれいになり歩道が整備されているので、この神田川の無粋さは何だろうと落胆したのでした。


ところが、お茶の水の手前から急な上り坂になっていくあたりから、神田川沿いに歩道が始まりました。



そこで、ふと思い出したのが、江戸時代に描かれた神田川の絵に、深い谷間を流れる様子があったことでした。
こちらの記事で紹介した「水系と3Dイラストでたどる東京地形散歩」には、明治時代に撮ったニコライ堂付近の写真がありますが、深い谷間を神田川が流れている様子が写っています。


急峻な地形を、いろいろな支流からの水をまとめながら流れてくるので、河口付近の浅草橋から秋葉原付近は水害も多かったのかもしれません。
実際に歩いてみて、その歴史が少し理解できました。


水道橋を過ぎて、飯田橋には川が分岐する場所があります。
外堀の部分と、神田川です。
飯田橋は80年代から90年代にかけて頻繁に訪れていたのですが、JR中央線の車窓から見える飯田橋から水道橋・お茶の水あたりに見える水は外堀だとずっと思い込んでいました。
まさか、これが神田川であり、飯田橋神田川の上流に向かう箇所があったなんて、なんで気づかなかったのだろうと、歩きながら唖然としたのでした。


本当に、「神田川」は私のなかではどこをどう流れているのかさえわかっていないイメージの川だったのですね。


飯田橋から目白通りでは、神田川は首都高の下を流れていました。残念ながら、このあたりではまた歩道が急に片側だけになったり、あまり歩く人に配慮されてはいなかったのですが、そこを抜けると、江戸川橋からはまた遊歩道が整備されています。
椿山荘の前を通り、早稲田へと到着。


これで、ほぼ神田川全域を歩いたことになりました。
ようやく私の頭の中の地図に、神田川の流れが途切れること無く描かれました。


でも、もうひとつの疑問。
かぐや姫の「神田川」に描かれたのは、どのあたりだったのでしょうか。
Wikipediaを読むと、高田馬場あたりに「三畳一間」のアパートが実在していたようですね。
そんなことを考えていたら、11月29日のNHKの「南こうせつさん 知られざる"神田川”の世界」という番組名を発見して、その偶然に心が震えたのでした。




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