気持ちの問題 44 <子どもへのファンタジー>

うさぎ林檎さんのアンテナに引っかかった自主映画のサイトを見てみました。
ホント、こういうのは気が進まないのですが、案の定最初のナレーションの部分から泣きそうでした。

伝統的な和食で育った子どもたちが、キラキラ輝いて見えました。

優しい声の石田ゆり子さん、好きだったけれど「これはないよ」ですね。


キャプションの「感動で泣きました」とは全く正反対の、「泣きたい」でした。



「伝統的な和食で育った」の部分は、これまでもいろいろありましたね。
助産院で生まれた子」とか、「自然なお産で生まれた子」とか、「母乳だけで育った子」とか。


冒頭の自主映画も、消音にして予告編を見れば、うちの近くにある保育園の子ども達とどこも変わらないと思えるのですが。



「○○で育ったからかわいい」がいかに子どもにとって残酷な意味を持っているかについては、マクロビベビーで書きました。

でも「△△をしたから、この子はかわいい」と、条件まではっきりつけて謂われてしまったらどうでしょうか?

それはこども自身の努力で変えられるものではないことです。
親の価値観でしかないのですから。

「△△をしなかったから(かわいいと思えない)」と親に思われていることを知った時の、子どもの絶望感を想像するだけでも泣けてきそうです。
そしてその絶望感は憎しみとなって、心に残り続けるかもしれません。

「マクロビベビー」という差別的な言葉まで生み出すマクロビオティックが、一部の人を引きつけるのはなぜなのでしょうか。


この映画に出てくる園長は私の母と同じ世代だけれど、もしかしたら「タンパク質が足りない」時代から一気に飽食の時代に変化したあたりの罪悪感からかもしれないと、勝手に想像しています。



子どもたちから元気をもらう
ピュア・ドキュメンタリーの誕生です。

「ピュア・ドキュメンタリー」という英語があるのかと検索してみたら、ほとんどがこの映画についてでした。


私には、現実から目をそらしたい大人が、子どもへのファンタジーで気を紛らわせているかのように感じました。





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